”被災地の現状‐2” | Love & Peace 2011

Love & Peace 2011

3.11
あの日から変わったこと
変わらないこと
先送りできる問題なんてひとつもない!


前記事に続いて「岩手沿岸の中高生女子に援助物資を届ける会」さんのブログから、
少し前の記事です。

拡散希望:被災地の今「2012/6」↓

http://ameblo.jp/stshena/entry-11269750565.html

いつかは仙人さんの記事を転載します。

多くの方に現状を知って頂きたいので、拡散をよろしくお願いいたします!!

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今、僕自身が感じる大槌町の空気を一言でいうなら
「やり場のない怒りと不安」
そして、
「バラバラ....」
だと思います。
防潮堤ありき
で、スタートした復興計画.....
多くの方が家族も戻っていない中、避難所から仮設住宅や借り入れ住宅に移り、あの日の夢とあの日以前の生活の夢を繰り返す日々、精神的に不安定で落ち着かず、気をしっかり持たなくては!と精一杯の空元気を出して自分を見失わないようにと必死に日々生きている中で開催された復興計画の地域住民の意見交換会、多くの方が、
「いつやったのか知らない!」
「家族が戻ってないのに、そんな場所に行く気分になれなかった」
「あの時間に行ける分けないだろ!」
と言っている中、最後の町のみんなを集めての意見交換会では集まった参加者の質問もまだまだある中で、
「復興の狼煙のポスター撮影があるから、時間がない」
という状態で終了.....
気が付けば、一部の地域を除けば
「元の場所に戻る為には防潮堤必要である
また、防潮堤がなければ復興計画は止まってしまうし復興はどんどん遅れるです。」
という方向に....

震災直後、
多くの方は跡形も無くなった我が家に、いつかは戻りたい
戻るのであれば、1mで高い防潮堤を!と望みました。
しかし、日々が過ぎ1年を迎え、落ち着きを取り戻し出したら
「やっぱり怖い...あそこには戻れない」
と、多くの方がこぼし出しました。
ふと、改めて現状の行政の発表している復興計画を見直して、元の生活までの時間を考え出したんです。
「もう、駄目かも....」
という諦めと
「何でも良いから早くしてくれ!」
という焦り、そして
「怒り」
も生まれ出しています。

防潮堤や土盛りの開始時期、そして完成時期も曖昧のまま....
3500戸以上の方が家を失ったのに災害公営住宅の数は980戸で、予定地も数カ所以外全く決まっていない....
事業主に対しての助成も、寝る時間も惜しんで何週間もかけ申請書類作成しても、ダメ出しばかり....
助成の恩恵を受けているのは、復興関連の団体ばかり....
それも、地元団体じゃないところも多い状況....
やっと職に就けてもほとんどの方は期限付きの緊急雇用....
その求人給料より下手すれば生活保護を受けた方が収入が多い状況が生まれ....
付け焼き刃の高額緊急雇用も生まれた出しても、期限付きでは、車のローンや銀行から借り入れすら組めない状況で人は集まらず....
なぜなら、雇用する事業主もやっとの思いでの事業再開で、来年すらわからない状況ですから...

また、震災直後の大変な時期を過ぎてから過剰な支援を受け続けた方々は
「何とかなるじゃないか?」
と、働く気力を失い....

線路一本で分けられた危険地域と居住地域
危険地域指定を受けた方は自分が住む次の場所さえも、まったく決まらないしわからない....
「順次、買い上げます」
とは、言われていはいるけど、それはどの順でいつからで、いくらかもわからない状態....

まったく同じ被害を受けながら線路一本で分けられた数メートルの土盛りで居住地域指定された方は、
「怖いから、高台に住みたいから買い上げてほしい。」
と言えば、
「それは、個人で売買してください」
との返答.....

商業指定された地域は、防潮堤も全くない中、現状であの日の場所での事業再開する為の助成書類を書く日々....
「もう一度、来たら立ち直れない」
と涙ながらに生きる為、あの日と同じ場所に戻る道しかない状態なんです。

もう、ボロボロです.....

口惜しいとしか言いようがありません....

小さな町です。
町に残ったほとんどの方の家族親類が、行政関連事業に勤めています。

声をあげられないんです。
周りの顔色見ながら必死に生きています。
前にも書きましたが、この沿岸部の震災前の平均年収は175万円なんですよ。
地域のコミュ二ティーで物々交換みたいな文化があったから生活出来ていたんです。
すべてを失ったんです。

防潮堤の高さやある・ないの問題じゃないんです。

今を生きる場所を探しているんです!

小さな建設会社しかないこの町に、防潮堤や区画整理事業を受けられる会社はありません。
すべて、ゼネコン頼み....

防潮堤より何より、町の人は今生きる場所が欲しいんです!

小さな商店や町の事業主は、もう待ったなしなんです!

なぜ、防潮堤や土盛り等を優先する復興計画しか出来ないんでしょうか?

同時に、防潮堤事業や区画整理を終えるまでの期間の代用地を探す人員や借り入れの予算は出せないのでしょうか?

復興関連の予算は浸水域以外に学校や病院等の公共施設以外は、道路を一本通すにも各自治体の予算なんでです。
浸水域を通らずにすむ新たな道を作る体力がこの沿岸部の自治体にあると思いますか?
浸水域の誰も通らない場所の国道の歩道や信号は復旧作業しているのに、仮設住宅への道は砂利道で、浄化槽すら未だに復旧されていないんですよ.....

浸水域を通らないと行けない、浸水炎上した大槌小学校を8億近くの予算を投じての仮町役場補修事業は始まっているのに、小中学校の場所もはっきり決まらず、最短でも平成29年3月まで仮設校舎....

なにが、一番大切なのかを忘れていませんか?

あの日、何とか生き残ったこの町の人間に、
「1000年に一度の今回の津波は防げないけど、明治、昭和クラスの津波防げますから、安全ですから戻って大丈夫ですよ!」
と言うこの行政.....
1000年に一度が、明日来ないと言い切れますか?

戻るしか選択がないのなら故郷の景観など捨てて、1mでも2mでも高い防潮堤を作ってほしい!
と思うのは当たり前でしょ!

なぜ、そこに住む方向でしか考えられないんですか?
このままでは、防潮堤が完成した頃には町に人はいなくなります。
これが僕が感じ、そして僕にこぼす町のみんなの今の声です。

だからこそ、アンケートという形で数字をしっかり出して訴えて行こうと行動を起こしました。

支援のあり方も、本当に難しい時期に来ています。
もう、ガレキ片付けじゃないんです。
物資配給も全く必要ないとは言いませんが、物資でもないんです。
この沿岸部のみんなには、ガレキの受け入れ問題でもないんです!
子供達に思いっきり走り回らせてあげたいんです。
この町には、明日を生きる希望が一番必要なんです。

お願いします、国民のみなさんの血税が、今巨大建造物に最優先で使われようとしています。

生きる場所に使われる道を選んでほしいんです。

生きる場所を見つけられたら、この町のみんなは本当に強いんです!

この状況を、伝えてほしいのです。

盛岡で行われた「東北六魂際」でお会いしたみなさんとお話しして、沿岸の他の地域でも全く同じ状況が多くの場所で起きている事がわかりました。

この沿岸部のみんなが声を上げても届かないんです....

みなさんのお金の使われ道が今決まろうとしています。

力を貸してください。

お願いします。