福島県南相馬市のある一家は、
”東京電力福島第一原発”から20キロ圏の境界線ギリギリ外側で
酪農を営んでいた。
~その1年の記録~
あの「原発事故」の後、牛の乳は絞っては捨てられていた。
出荷できなくても乳を絞らないと牛が病気になってしまうからだ。
牛を見捨てるわけにはいかなかった。
自主的な検査では、牛乳から放射性物質は検出されていないが、
出荷はできない。
県が検査をしてくれないからだった。
そして事態はさらに悪くなっていた。
牧草が汚染されてしまい、与えることができなくなってしまった。
事故前は、(牧草の)品種選びや栽培方法の研究を重ねて、
牛乳の品質を高めてきた。
それは、県のコンクールで最優秀賞を受賞するほどだった。
仲間は40年以上続いた”酪農”を辞めていく。
しかし、息子のためにも諦めることができず
自ら牧草地の除染をはじめる。
(事故から3ヵ月)
出荷再開の日を迎える
息子は・・
中学校が再開されず郡山に避難していたが、
夏休みには帰省して仕事を手伝った。
じいちゃんは・・
内部被爆量があまりに高く、一ヶ月後に再検査。
「研究材料だ」と笑っている。
父は・・
土の除染の方法を変えた。
上の土を削って入れ替える。
それが、冬に効果を表し、放射線量が基準値を下回った。
そしてその牧草を1頭の牛にだけ与えて影響を調べた。
春・・
努力が実を結び
自ら除染した土で
自ら栽培した牧草を牛に与え続けた結果
出荷できる水準の牛乳が絞り出された。
それは福島県内の酪農家の前で発表された。
「とにかく自分で努力して、この状態を乗り越える。
一歩先に踏み込んでいかなければ壁は越えられない。
それはもう誰かがやるんじゃない、
行政がやるんじゃない、
自分の力で、自分自らが動き出せ。」
春休み・・
自分が育てた牧草を、全ての牛に与えるために種を蒔く
息子は南相馬市の学校に入学。
父は息子のために牛を諦めなかった。
父から息子へ・・
「この場所で酪農を続ければ、
いずれ嫁を迎えて子供が生まれる。
何年か先の放射線のリスク、
そこまで考えて自分の未来を考えろ。」
”NHK Eテレ 震災ドキュメント2012”
「父と子の夢~原発事故と向き合った1年~」より