”福島・南相馬の父娘、離ればなれの避難生活” | Love & Peace 2011

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3.11
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震災弱者:苦難の1年 福島・南相馬の父娘、離ればなれの避難生活 要介護・障害、互いを案じ

 ◇原発事故、賠償請求に壁も

毎日jp



「元気にしてるか」「うん」。2月になっても例年以上の降雪が続く新潟県新発田市。松本和夫さん(80)と長女寿美子さん(52)は携帯電話で安否を確かめ合った。和夫さんは酸素吸入器を付け市内の病院で、脳性まひで手足が不自由な寿美子さんは障害者支援団体の確保した市内の民家で、それぞれの暮らしが続く。

 震災前は福島県南相馬市小高区の自宅に弟らと暮らしていた。東京電力福島第1原発事故で警戒区域に指定され、寿美子さんは3月12日、弟らと同市原町区の小学校体育館に避難。自宅なら1人でできるトイレも人の手が必要になり、周囲の負担を減らすため利尿剤服用をやめると足首が紫色に膨れ上がった。

 「避難所は無理」と寿美子さんは家に戻ったが、市にせかされ再び避難所へ。4カ所目で「施設に入った方がいい」と勧められ、旧知の支援者に迎えに来てもらい、3月25日、新発田市に来た。

 一方、和夫さんは避難指示が出た後も原発から約16キロの自宅に残った。中学教師を退職後、肺や胃のがんで入退院を繰り返し、「こんな体なら家にいるしかない」。連日警察に避難を促された。

 夜は目立たないよう豆電球にし、暗がりでテーブルの角に体をぶつけ肋骨(ろっこつ)にひびが入った。身を案じた長女の支援者から「寿美子さんも新発田で安心して暮らしています。お父さんも来ませんか」と電話が来た。「そんなに言うんなら行くべ」。4月16日、寿美子さんの民家へ移った。だが、疲れからか呼吸や歩行が困難になり、9月に入院。介護認定された。

 寿美子さんは小学校入学後、1年余で障害を理由に「就学免除」を通告された。25年前に母親が亡くなり、15年ほど前、相部屋だった福島市の施設を出て自宅へ。1人で食事し、週3日デイサービスに迎車で通い、帰りは電動車椅子に乗りおかずを買って戻る。洗濯も自分でしていた。

 原発震災で弟らも福島県内の仮設住宅などに移った。離れ離れの一家に故郷へ帰れるめどはない。追い打ちをかけるのが補償手続きだ。

 1人暮らしとなった寿美子さんは単身世帯者として賠償請求をしなければならない。1月31日、支援者で自身も脳性まひの渡部貞美さん(58)らが運営する福島県田村市の施設に東電の担当者が訪れた。就学できなかった寿美子さんは会話や読み書きは可能だが、分厚い請求書類には「分からないところも」。避難場所や体調の変化などを伝え、担当者に書き込んでもらった。

 だが、同席した渡部さんが「彼女は避難所で4日間車椅子を下りられず、股関節の痛みがひどくなった」と訴えても、担当者は「元々の障害によるものでは」と意に介さなかった。その後、国は障害者らへ配慮する賠償の「新基準」を公表したが、東電側から見直しの連絡はない。

 渡部さんは懸念する。「ハンディがある人ほど賠償が必要なのに申告しないともらえず、内容を理解して手続きするのは難しい。声を上げられない障害者は、きちんと賠償を受けないままになってしまうのではないか」【野倉恵】