こんにちは!

アーガイルメイク®

インストラクター

馬場三千代です。

私の仕事は、メイクのインストラクター

だから美容、仕事、交友関係を投稿していました。

先日、私が尊敬する雅香さんがインスタライブで

「辛い時は辛いっていいんだよ」と

おっしゃっているのを聞いて

私の日常を書く事にしました。

 

私のつらい日常のはじまりから

お伝えします。

 

 

私は、2012年の交通事故をきっかけに

東京本社から移動になったので

実家に帰ってきました。

少し私が日常で困難な事があったので

助かる事がありましたが

年老いた両親と生活のサイクルが違って大変でしたが、

多少のストレスはありましたが、今から考えると全然です。

 

6年前仕事から帰ってくると

母から「今日泥棒が入ったというんです。」

その詳しい内容は、自分が買い物に出る前に

リビングにキャッシュカード2枚を置いた

確かに置いて。帰ってきたら無くなってたと

いう事で大騒ぎになって

警察に電話したそうです。

 

その頃から父が母にお金の事でしつこく

攻めるような事があったり、急に

大きな声で怒りだす事が増えてきました。

昭和5年の父は、もともとワンマンで

私も弟も子供の時から父が嫌で嫌でしかたありませんでした。

私は、高校時代父が嫌で家出をしたぐらいです。

弟は、早くに家を出て自立しました。

 

 

泥棒事件から母に対して暴言があって

母はそのストレスで倒れるようになりました。

暴力もありました。

私が残業で遅くなっている時に

叔母から電話があって、お母さんがお父さんに

追いかけられて意識を失くして倒れたから

帰ってきてという事でした。

母の体調で仕事を休んだりしないといけない事も

あったので、かかりつけ医に相談をして

認知症検査をする事になりました。

 

結果は、アルツハイマー型認知症でした。

脳幹にも異常があるけれども

もうどうしようもないという事でした。

 

一番すごかった事は、前日から分けのわからない

事で父が、暴言を吐き、母に暴力をふるかの

ように手を上げるので、夜は私の部屋に

母を寝させるようにしました。

次の日気にはなったのですが、出勤しました。

午後3時に弟から電話があって。母が大変や

早く帰ってきてくれという事でした。

弟のお嫁さんが、母に電話した時に

ろれつが回ってなくて、左がしびれてるのを

聞いてかけつけてくれていました。

私が帰った時は、母の様子は落ち着いて

ましたが、弟が父にかなり強く叱っていました。

父の鬼のような形相は変わらず気になりましたが

前日の疲れもあるので、私の部屋で母を

寝かせて、私も寝ていましたが寝つけず

キッチンにお水を飲みに行った時に

見た光景は、それは今でも体が震えます。

父が包丁を握りしめてお腹を出して

「死んでやる」と叫んでました。

死ぬといいながら、包丁の先は

私に向いていました、

 

父を力いっぱい突き飛ばして、揉み合ってた

時に、包丁が私の腕に当たってケガは

しましたが、包丁を取り上げる事が出来ました。

母はその様子を見て倒れてしまいました。

私は、父を羽交い締めにしながら

119に電話をして救急車を呼びました。

状況が状況でしたので警察も来て

父が変な事をしないように

またすぐ親族を呼ぶようにと言う事で

真夜中弟が呼び出されました。

母は、脳梗塞の疑いがあるという事で

入院しました。

朝がた入院の支度で帰って、父がいるので

帰ってきましたが

今書いてるだけでも体が震えます。

 

それからいろいろありましたが、

 

4年前には、私が帰ったら母が父が

ディサービスから帰ってきて

ずーっと寝ているというので

見に行ったら様子がおかしい!!

息はしているのですが、反応がない

急いで119 に電話して救急車を

呼びました。

 

母は、様子を警察に聞かれて犯人

あつかいされている事に

疲れていました。

父はその当時北千里にあった国立循環器病院に

運ばれました。

集中治療室に入ってから、意識が戻ってきました。

その後いろんな検査がされましたが、原因が

分からずそのまま入院しました。

 

さぁーこの入院がきっかけでサイクルが

狂ったのか、お医者さん、看護師さんに

対して暴言は吐く、食事がまずいって食べない

夜お手洗いの場所が分からずウロウロして

他の病室に入ったりするので

循環器病院から電話があって

認知症を見る病院じゃないから

連れて帰ってほしいという事でした。

 

帰ってから妄想が始まり窓から人影を

見るとギャーギャー言うように

なりました。

落ち着くのに1週間ぐらいかかりました。

 

人の家ってこうもいろんな事があるんだなと

思います。

 

父の意識がなかった時、脳の検査はしていましたが

心臓の検査をしてなかったので

後日、早朝検査の為タクシーを予約して

父、母、私と三人で検査に向かおうとした

途中住宅街から大きな通りに出る瞬間

タクシーが車線を横切って右折しようとした為

直進の車が突っ込んできました。

私は助手席に座ってシートベルトをしていたので

大丈夫でしたが、私側のドアは道の石で破損して

出れませんでした。

この交通事故で母の体調と不安病は、一気に

悪くなり劇瘦せになりました。

 

私のつらい日常のはじまりは、いろんな事の

積み重ねで日常なので

長くなったんですけど、始まりですから

続きは、また書きたいと思います。

お読みいただきありがとうございました