こんにちは。

アーガイルメイク®プレインストラクター馬場三千代です。

 

9月になると手首の痛みと共に思い出す事があります。

 

秋の夕方は急に暗くなり、救急車のサイレンの音で胸がドキドキします。

 

「神様は、超えられない試練は与えない」

 

本当にそうなのかどうか分からないですけど、

人は一人の力だけでは生きられなくて、

人から生きる力を与えられて生きているんだという事を経験しました。

 

 

8年前の交通事故の事です。 ※加害者の事があるので出来る範囲でお話しします。

 

8年経ってやっと言葉にする事が出来ました。

事故後、意気消沈で神社にお参りに行った時、神主の方だと思います。

 

きっと私がすごい顔をしてたんでしょうね。

「良かったらお話し聞きましょうか。」ってお声をかけてくださいました。

 

いろいろお話しさせていただいたら、神主さんは

「それは大変でした。人は痛い思いをしただけ、人に優しくなります。

よう頑張りはりました。」とおっしゃってくださいました。 

 

神主の優しいお言葉にスーッと一筋涙が出て、深く深呼吸をしました。

 

 

///////////////////////

 

私は8年前、外資系化粧品メーカーの東京オフィス勤務で、

転勤の際、関西にない土地柄という事でお台場のマンションの23階に住んでいました。

 

職務は外部のエステチームを管理して、

主要都市のデパートの上顧客のセミナーの運営管理をしていました。

 

2012年9月19日(金)午後18時半

 

不思議ですね。

その日は朝からなんか体がフワフワしてゆりかもめを降りるとき、フラッとしました。

 

オフィスでは、午後3時まで事務作業をして、

4時からはザ・キャピトルホテル東急で、次の日から始まる渋谷2店の上顧客のセミナー準備とチームのミーティングをして終了。

 

オフィスに帰るつもりでしたが、明日の備品購入もあったので上司に電話をし、そのまま帰宅することにしました。

 

赤坂で雑誌を購入し、なじみのスーパーへ。

しかし、そこがいっぱいだったので、通りをひとつ中に入ったスーパーに行こうとした事が

人生の歯車が狂う始まりでした。

 

横断歩道もない道路で向こうのスーパーに行こうとした瞬間、衝撃を受けてスロモーションになりました。

 

自分の体がゆっくり宙に舞って、ドスッと落ちて道に転がっていました。

あとから警察の方に聞いた話では、3m飛んだという事でした。

 

遠のく意識の中で

「大変!骨折している」

「警察!警察!」

 

と周りにいた方が通報をしてくださっているのが聞こえていました。

 

私は自分の右手がブラブラしていて、骨が見えた事と痛みで8分間意識不明になったみたいです。

この事があとから大変な試練につながります。

 

救急隊の咄嗟の判断により、すぐに慈恵医大病院に搬送されました。

 

もう耐えられない激痛の中でレントゲン、CTをした結果、

右手は粉砕骨折、右足は重度の捻挫。そして、右半身打撲。

 

「即手術が必要」と宣告されました。

 

しかし、救急の決まりで、朝方一度家に戻って病院に来るように言われてしまい、

手を曲げて固定し三角巾で応急手当をして戻りましたが、そこからもう辛すぎて記憶がありません。

 

さらに、問題になった事は、

事故の際、私の意識不明の時間が長かった為、

「大学病院では、リスクがあるので手術出来ない」と麻酔医がOKを出してくれず専門医を探すように言われたことです。

 

それでも、担当医が麻酔医と掛け合ってくれ、

痛くてご飯も食べれない寝れない中で、いろんな検査をして

やっとOKが出たのは、事故から1週間後でした。

 

///////////////////////

事故から10日後、やっと手術が出来ました。

手で5時間の大手術でした。

 

手術が終わり、まだ意識朦朧の中で、

担当の先生は

レントゲン写真を見せながら、「真っすぐになったからね」と言ってくださいました。

 

嬉しかった。

 

右手首の骨が粉砕されて左に曲がっていたので

手術内容は人口骨を埋めて器具をビスで止めて固定するというものでした。

 

手術後は、初めての全身麻酔の副作用で吐き気がして、食事が食べれなくて

私は、事故から体重が6㎏減って激やせしました。

あんなにダイエットを意識してたのに・・・・

 

手術の翌日、大阪から友人と弟夫婦と母が来てくれました。

抱き合って泣きました。

 

母も心配のあまり小さくなって、私を見て泣くばかりです。

ごめんね。心配かけて本当にごめんね。

私も泣くばかりです。

 

手術後、また大きな問題が出てきました。

2週間で少し腫れが引いても、親指がまったく動かないんです。

 

手術まで時間がかかったせいか、原因はわかりませんが

右手は思うように動きません。

術後の腫れと足のしびれなどで2か月入院しました。

 

入院している時、外の景色がキラキラ輝いて見えて、

普通に手を使っている人が羨ましくて、

このまま親指が動かなかったら・・・という不安で押しつぶされそうでした。

 

そんな時、

「どうなってるの、もう、もう!」と先輩が泣きながら部屋に入ってきて、

 

食事時間でも私が食べてないのを見て、

「ほら食べないと」と言いながら食べさせてくれました。

 

ありがたくて涙が止まりませんでした。

 

先輩は日本橋高島屋に勤務だったので、退院するまで2日に1回来て

顔も何のお手入れをしてなかったので、いつも来るとマッサージをしてくれました。

 

改めて肌をお手入れする事は、心も元気になるんだと実感しました。

 

足のしびれは、友人が関節運動学的アプローチ(AKA)最小限の力と適切な関節を引き出す

治療方法のリハビリテーション クリニック リハブ 土田を紹介くださいました。

 

全国、海外からも治療に来られる救世主のようなクリニックです。

 

足のしびれは、1回の治療で改善されました。

それはほんとうにすごかったです。

 

しかし、親指は退院の日を迎えても、曲がらず、

継続して慈恵医大病院内で

手の専門のT先生からリハビリを受ける事になりました。

 

リハビリはもう口に出して言えないくらい辛いです。

先生が腕を持って親指を曲げるようにグーッと力を入れる度に、失神しそうになります。

 

T先生は

「まだ若いからもう一度、健常者として頑張れるようにするから。

馬場さんも頑張って!」と仰いました。

 

リハビリは週4回、朝一番の予約で通いました。

私はその年、クリスマスも年末もお正月もありませんでした。

 

キラキラしたイルミネーションもグレーにしか見えない日々。

一度は痛みで失神もしました。

 

が、先生と何回も何回も真剣勝負をして、

ついに年明け、親指が曲がりました。

 

「曲がった。」「曲がった!」

先生と崩れるように泣きました。

 

あとのリハビリは、小豆をお箸で移動させたり、おはじきをつまんだりして指先の

感覚を取り戻していきました。

 

慈恵医大の担当医、M先生からは

「骨折をすると100%元には戻れないから

良くなったら運動して体が錆びないようにしてくださいね。」と言われました。

 

そして、私が東京から関西に帰る時、

T先生はこう仰いました。

 

「馬場さん、これからたくさんの女性を綺麗にする為に

親指が曲がって奇跡的に回復したから頑張ってね。

神様がくれたプレゼントだから」

 

///////////////////////

前回お話した「天職ね。」と言ってくださったお客様

そして「神様がくれたプレゼントね。」と言って真剣勝負をしていただいたT先生

 

私は今、第2のステージとしてアーガイルメイク®をさせていただく事で、やっとスタート地点に

立って頑張っています。

人に支えられて、そして人から生きるパワーを与えられてきたから

私も私が出来る事でたくさんの人にパワーを与えて生きますね。

 

人は痛い思いをした分、優しくなれるんですね。

良かった。  ありがとう。