此処にいる障害受刑者は普段は
とても温順しく、穏やかだ
しかし、何かの弾みで それが豹変してしまう
突然、攻撃的になる者もいれば
定期的に 怒りだす者もいる

それぞれ薬で 制御されているようだが
普段では考えられないくらい豹変する

「神崎さん、1362番 朝から変ですね」
洗濯回収の後 酒井が困り顔で話してくる
「最近、ずっと温順しくしてたのになぁ」
1362番の長野は 比較的 症状の軽い受刑者だ
作業も丁寧で 手間もかからない
それが今朝から 何に対しても攻撃的だ

「そういえば、朝の点呼時に熊澤が…」
何かを思い出したように酒井が言う
「熊澤が…何かまた ちょっかいかけてたか?」
神崎も熊澤と聞いて 何か悪い予感がした

刑務官の熊澤は 受刑者に対して普段から
〝言葉の虐待〟が酷いのだ
神崎達 経理受刑者には 言葉の暴力だが
障害受刑者にとっては それ以上なのだ
側からは 優しそうに見えても
彼が囁いている 言葉は心を傷つける

更生しよう、立ち直ろうとする受刑者を
絶望へと導こうとするように聞こえる
受刑者が何を言われるとダメージを受けるか
それを熟知していながら 口にするのだ

普段 温厚な長野も熊澤にかかってしまうと
〝豹変〟してしまう
此処の長い 熊澤はその〝スイッチ〟を
十分理解しているからだ

「熊澤の挨拶を無視したらしいっすよ」
酒井が朝の光景を思い出した
「無視したんじゃなく 聞こえなかったんだろ」
最近 長野は耳が遠くなってきた
受刑者は奴隷、自分は王様とでも思ってるのか
熊澤は 少しでも自分に対する態度が
軽く扱われると怒り出す暴君である
この棟の被害者も少なくない

刑務所では、何気ない言葉が
受刑者の心に傷をつけてしまう
ほとんどの刑務官は それを理解して
注意しながら言葉を選んで話す
しかし、中には熊澤のような刑務官がいて
まるで煽っているようにもみえる

少しでも反論(口ごたえ)すれば
最悪の場合 〝懲罰〟となってしまう
何も悪くなくても 〝調査→懲罰〟の流れだ

刑務所では、受刑者は 全ての〝怒り〟に
堪えなければならない
堪えに、堪えているから 何かの反動で
〝豹変〟してしまう
我慢、忍耐という 『安全装置』が
外れてしまうのだ
そして これを繰り返し より我慢強くなる

刑務所は、肉体より数十倍、数百倍
精神が鍛えられる〝場所〟でもある

ほとんどの受刑者は 安全装置があまく
〝豹変〟してしまい犯罪を犯す
少しの冷静さがあれば防げたはずだ

考えてみれば ある意味 熊澤刑務官は
最強の〝教官〟かもしれない
娑婆に出れば 熊澤のような人間が
掃いて捨てるほどいるかもしれない

刑務所ほど 短気は損気な所はない
「長野も もうすぐ出所だから あれでも
    熊澤の配慮なのかもしれないな」
神崎は最近そう思うようになった

つづく