--- バレンボイム/ポリーニ/アラウ/リヒテル/ブレンデル 『ピアノを語る』 p. 56. シンフォニア (1984)
20世紀を代表するピアニスト、クラウディオ・アラウの若手音楽家に向けた言葉です。
このアラウの言葉からすると、"私は、バレエを観ることも、美術館へ行くことも、通りにいるホームレスを見ることさえも、音楽を学び、演奏方法を学ぶことになるのだと思う。"と言っているヴァイオリニストのナージャは、アラウの教え通りということになりますね (正確には伝説の名教師ドロシー・ディレイの教えかもしれませんけど)。
そのディレイはディレイで、あらゆる芸術をエネルギーで分類して感じながら「文化的な地平」を広げていた人でした。
ところで、なぜ、芸術、建築、文学の知識を拡げると、それらが自分の演奏に反映されるのでしょうか。
まず考えられるのは、自分が今取り組んでいる曲の解釈が深まるということがありますよね。
その曲が作られた時代と同時代の、絵画、建築、文学、服飾などの知識を得るとイメージがより鮮明になり、曲の情景が目の前に浮かびやすくなります。
また、そのイメージ力が強くなることで曲解釈が豊かになるのと同時に (そのことによって?)、自分自身の内発的な喜びも増幅し、自分の心も豊かになりますよね。
私は、曲の個別的な解釈力アップもそうですが、自身内の「演奏する内発的動機」に栄養を与えるために、芸術、建築、文学の知識を拡げる必要があると思っています。
人によっては、この「芸術する内発的動機」のことを「アーティストチャイルド」と命名し、芸術家自らの手で自分のその芸術的な子どもを育てることが大切で、芸術家と名乗るならばその「アーティストチャイルド」に自分で栄養を与え叱咤激励することは権利であり義務でもあると言っている人もいるくらいです。
私たち音楽家は、音楽家という芸術家になろうとした時点で、そうでない (普通の?ある意味私たちは異常?) 人たちよりも繊細な生き方を選んだ人間であり、自分のその「アーティストチャイルド」に、責任持って「芸術、建築、文学の知識」という栄養を与える必要があるのだと思います。
というわけで、今夜は、メトロポリタンオペラの野外に設置されている、サマーHDフェスティバルのアンナ・ネトレブコ主演「アンナ・ボレーナ」を観に行ってきます (笑)。声楽という「文化的な地平」を拡げるために!(アラウは音楽以外の地平という意味で言っていますかね?!)
ピアノを語る バレンボイム・ポリーニ・アラウ・リヒテル・ブレンデル/著者不明

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