--- ダニエル・バレンボイム 『音楽に生きる』 p. 88. 音楽之友社 (1994)
今や、声楽家としての私のメンタルコーチと化している?バレンボイムの言葉です。
この部分をよく読んでみると、ここでバレンボイムは2種類の音を取り上げていることに気づきます。
A: 自分が出したいと望む音
B: 自分が実際に出した音
Aについて、この音を出したいとどれだけ強く感じることができるか、その気持ちの強さの度合いは教えることはできないと言っています。
そして、Bについて、そのAの音と差があればあるほど苦痛をもたらすと言っており、ということは逆に、その差がないほど心地良く、納得できると言えるのではないでしょうか。
音楽家は、その差を無くすために、自分の持てる力を全て注ぎ込みます。
自分で望んでいる音が実際に出ていない、という時は、ホント辛いですよね。
もう死にたいくらい、というのは言い過ぎでも、無力感やら嫌悪感やらつきまとってしまいます。
でも諦めたら終わりなので、諦めずにその音を出すべく練習する。私の知っているピアニストは、一音に何時間もかけて、一楽章で一日が終わったと言っていましたが、そんなのザラなんでしょう。
そんな時、声楽家の私としては、一音を何時間も試すことができるなんて、声でそれをやったら喉壊すので、いいなぁとか思ってしまいますが、音がどうしても自分の考えてるようには出てくれない状態が何時間も続くってかなりツライと思います。
メンタルトレーニング理論では、集中とはどういうものか、2つの物差しを使って判断します。内向きか外向き、狭いか広いかです。
Aの音では、集中は、内向きで、狭いか広いかはその人の「内なる耳」の大きさの主観に左右されます。
Bの音では、一転、集中は外向きに変わり、この場合一音ですから「狭い」と言えます。(指揮者など複数の音を同時に聞き分ける時の集中の種類は「広い」でしょうか)
ここで集中の方向性に限ると、Aで内向き、Bで外向きの2つのディレクションが生じていて、音を出すことが仕事である演奏家の集中の仕方として重要なのは、音を出す直前もその最中も直後も、この二つのディレクションを常に同時に感じ続けることではないでしょうか。
身体が楽器の声楽家の中には、声を出すイメージとして「回転している」と言う人がいますが、これは二つのディレクションが同時に働いていて、その二つが結び付いた結果、2本のラインが円に変わったということではないでしょうか。
バレンボイムの言うように、Aのその音を感じる気持ちの強さの度合いは教えたり教わったりできないのかもしれませんが、私は、AとBの音をできるだけ近付ける試みとしてメンタルトレーニングの理論を応用できるような気がしています。
その集中理論で使われているディレクション(方向性)を、逆に、演奏の真っ最中に集中するための揺るがないツールにすることが、AとBの音の差を無くすことや、ひいては本番への自信につながったりするのではないかと考えています。
音楽に生きる―ダニエル・バレンボイム自伝/ダニエル バレンボイム

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