--- 檜山乃武 『音楽家の名言3』 p. 110. ヤマハ (2011)
女流ヴァイオリニスト、ナージャの言葉です。
生きていて、自分の目に入るもの、感じるものが音楽を豊かにすることにつながっていると。その感受性を大切にしなさいということですね。
この言葉も、「音楽=人生」を裏付けているのではないでしょうか。
私もたまに、ここNYで美術館に行くことがあります。(私はメトロポリタン美術館の会員になっていますが、ちなみにその年会費は、NY在住者は年会費$70からで、NY市から200マイル以上離れていると$60から)。
私は音楽家としてまだまだ未熟だからか、ピカソの絵を見て演奏方法まで学んでいる感じはしないのですが、芸術をするそのモチベーションに驚嘆したり、元気をもらったり、なぜかホッとしたりします。
だって、彫刻とか絵とか壁画とか、何年もかけて創ったとか、ザラじゃないですか。
たまに、何十年単位の創作物とか、何年間もこんなメチャ小さいところに絵を描いたりとか何かを縫っていたり、とかいう芸術品にも出くわしたりしてですね、ため息と同時に、コツコツと最後まで創ったあなた、本当に凄いなぁと思うわけです。
私たちも音楽やっていて、どうしてもうまくいかないことがあるわけで、その方がうまく行くことよりも多いんじゃないでしょうか。
どうしてもこの音がこの音質で出てくれないとか、私は声楽家なので、この音程でこの声質がなぜ出ない?と自問しながら1年とか2年とか、音によっては5年とか?平気で経ってしまいます。
しかし、音楽やっている人が皆そうであるかは分かりませんけど、ずぅぅぅぅぅぅぅぅぅっと同じ状態が続いていて、ある時いきなりあれっ?できるかも?できているかも?という時が来ませんか?
まるで一段の平坦部分がやけに長い階段のように。
次の一段に行けたと感じた時は、死んでもいいくらいの嬉しさがありますが、その前の「ずぅぅぅぅぅぅぅぅぅっと同じ状態」の時は、死んだ方がましというのは言い過ぎでも、自分は音楽を辞めた方がいいのじゃないかくらいは感じると思うのです。
そんな時、本当の支えとなるのは、自分の奥深い、無意識/潜在意識と言っていいくらいの、自分の意識に邪魔されない「何か」ではないかと(もちろん、家族や友人などの暖かいサポートもあると思いますが、本質的に、音楽を続ける続けないの決定権はどっちみち自分ですので)。
「ずぅぅぅぅぅぅぅぅぅっと同じ状態」→一段分登る、ということを発見し、それが成功体験となり、次の「ずぅぅぅぅぅぅぅぅぅっと同じ状態」に耐え切れるのだと思います。
またこれは、まさしく音楽家にとってのメンタルトレーニングとはどういうものであるべきかということも示唆しています。
音楽というのは、芸術まで昇華させるのに、しこたま時間がかかるのです。また、その成果は、スポーツやビジネスのように勝敗や数値ではっきりとは分からなく「ずぅぅぅぅぅぅぅぅぅっと同じ状態」にいると感じます(そういう感じではない人もいるでしょうけど)。
しかし、努力していればいつか次の景色が見える日が来るということは、実は、その時期が一番学んでいる時期であり伸びている時期なのでしょう。
ですので、「情熱の維持/保持」ということが音楽家には非常に重要であり、メンタルスキルとして音楽家に合ったゴールセッティング手法のカタチがあると私は思っています。
その一つに、前述した<自分の奥深い、無意識/潜在意識と言っていいくらいの、自分の意識に邪魔されない「何か」>と自己会話して、大切な大切な宝物のように励ましたりなだめたり叱咤したりというような内向きのことを日々のルーティンとしてやっていくことが「情熱の維持/保持」に必要なのではと思っています。
このナージャの言葉のなかの「音楽を学ぶ」というのは、人生も実は、音楽と同じように頑張っても頑張っても「ずぅぅぅぅぅぅぅぅぅっと同じ状態」と感じる方が多く、そのような人生での生き方から演奏の仕方を学ぶこともあるという意味があるのでしょうか。
(私がメト美術館で一番好きな絵 from ヴェラスケス)
音楽家の名言 3 ~壁を乗り越えるためのメッセージ~/檜山 乃武

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