くじゃくの王さまin ネパール -16ページ目

くじゃくの王さまin ネパール

結婚生活7年目。だんなさんはネパール人。
ふたりの子どもたちと一緒に成長中。

またもや娘が中耳炎です・・・

先週冷え込んだのが効いて、家族全員かぜっぴき・・・カゼ
春になったかと思わせといて~!ひどいよ~~~!しょぼん

鼻水や咳が出始めると必ずといっていいほど娘は中耳炎になります。
滲出性中耳炎、やはり手強し。←大きくなるにつれ治るけど、炎症を起こしやすく治療を怠ると難聴になったりするらしいです・・・

今、朝の4時・・・
こどもが病気だと夜中気になって何度も起きて、呼吸を確認したり、熱が上がってないかみたり、なかなか眠れない。プラス、やっと眠れたと思ったらジャガイモを大量に買い込む夢を見てしまった。←ジャガイモは大好きなんだけど、ここんとこ動物性たんぱく質が摂れないため、エネルギー摂取を目的にジャガイモ食べまくりで・・・あ~夢で良かった~。

明日はダンナがお休みなので、日中は娘はダンナに看ててもらって私はパートです。年末年始インフルエンザとか中耳炎とかで私の出勤日数が少なくて、今年度の保育園の継続が危うく、5月までに出勤日数を増やせないと6月から保育園行けなくなっちゃうのです。だからこどもをとるか、仕事をとるかっていう葛藤もしばしばなわけで。ダンナがお休みじゃなかったら、もちろんこどもを優先します。
・・・で、パートの後、娘を連れて耳鼻科に行きます。

って、こんな時間にブログってる余裕はありませんね・・・(だって眠れないんだもの~あせる
やっぱり休んでおかないと体力的にヤバイので、そろそろ横になりま~す。

娘の中耳炎とみんな(ちびとらちゃんもねドキドキ)の風邪が早く治りますように。

先週の水曜日にネパールのムワ(お祖母ちゃん)が亡くなりました。

前回の記事で泥棒を捕まえたあのハッスルお祖母ちゃんです。
先日から入院して検査を受け、手術をするために準備をしていたのですが、84歳という年齢も考慮して慎重にと言っていた矢先のことでした。

当然ながらダンナはショックを隠せず、仕事のこともありネパールにすぐ帰れる訳もなく、ここのところ元気がありません。

ネパールでは喪に服す期間というのがあり、私たちの場合13日間お肉・魚・たまご・にんにく・玉ねぎを食べてはいけません。そして、お家で料理をしたものしか口にしてはいけません。理由は何度となく聞いてはみたのですが、はっきりとしたものはなく、おばあちゃんのそのまたおばあちゃんもそうやってきたという習慣だからのようです。ネパールに帰ることができないので、せめてその習慣だけでもこちらで実行し、喪に服することにしました。


私が知っているムワは、強くて元気な人。10人も(!!)こどもを産み(ダンナのお義父さんは次男)、そのうちの6人を早くに亡くしながらも気丈に生きてきた人(ネパールの平均寿命が短いのは乳幼児の死亡率が高いため)。

初めてムワに会ったときのことは今でもはっきり覚えています。
孫がオーストラリアで知り合って勝手に結婚して連れて帰ってきたお嫁さんは日本人!ってきっとムワぐらいの年代の人は受け入れられないって聞いてたのに、お家に着いた時ベランダで待っていてくれて、私を見るなり急いで階段を降りてきて、ギューっと抱き締めてくれたムワ。そして自分が結婚した時にブワ(お祖父ちゃん:このときすでにもう亡くなっていて私は会うことができなかった)にもらった大事な結婚指輪を私の指にはめてくれました。ダンナが「ムワがお前を気に入ってくれた証拠だよ」と言っていました。

ムワは天気がいい日はベランダで日向ぼっこをしていて、娘が生まれてからは私たちもよくベランダに行って一緒に過ごしたりしました。娘をとても可愛がってくれて、みかんやりんごを「お食べ」と言ってもってきてくれたり、歌を歌ってくれたり。ムワの長い髪の毛をみつ編みにしておだんごにしてと言われ、慣れないながらも一生懸命してあげたらとても喜んでくれて。親戚の結婚式に行く時はちゃんと化粧をしておしゃれをして、「ラムリチャ?(きれい?)」とお茶目な面もたっぷりのムワ。

近くのお寺ならスリッパも履かずに裸足で行って来てしまう、たくましく丈夫なムワ。お手伝いの男の子が何度もお寺までスリッパを届けてあげていたのに、「近くだしそんなの履かなくて大丈夫」って言ってたっけ。

一緒にタクシーに乗った時、「ジャパンマ タクシー チャ?(日本にはタクシーはある?)」と聞いてきたムワ。当時ネパール語が話せなかった私と簡単な言葉と英語を混ぜてコミュニケーションをとろうとしてくれたっけ。私も覚えたての片言ネパール語で「チャ(あります)」と答えました。

私がダンナとケンカをして泣いていたときも、「こんな遠いところまで来て辛い思いをして、あなたが泣いてると私まで泣けてくる」と一緒に泣いてくれたムワ。

ある日、キッチンでいきなりムワに怒鳴られたことがありました。うっかり私がごはんとダル(レントル豆のスープ)をムワが食べる前に触ってしまったから・・・(カーストの下の位の人、またはカースト以外の人が触ったものを食べないという習慣がネパールにはまだ残っています)「なんで私を嫁として家族として認めてくれているなら、私が触ったごはんを食べてくれないの?」とダンナに泣きついたのですが、私以上に怒ったダンナがムワに抗議。少し落ち着いたころにベランダに出てみるとムワが来て、「あなたが嫌いで言っているんじゃないのよ。そういう習慣で私は亡くなったお祖父さんのためにその習慣を継いでいるだけなのよ」と優しく説明してくれました。そして気遣ってくれてか、ご飯とダル以外のおかずだと私が作ったものを食べてくれるようになり、「おまえの作るチョップ(日本でいうコロッケのような蒸してつぶしたジャガイモを丸めて揚げたもの)が一番おいしい」と喜んで食べてくれたり。

私が初めて来た時のこと、ムワも覚えていてくれて、後で「あの時あなたはりんごのような真っ赤なほっぺたでとっても可愛らしく、歩いている姿も踊っているようで、私もとても嬉しくなったの」と言ってくれました。

ムワはとても厳しい人という話をよく聞いていて、そうかもと思う時もあったけど、私に対しては人一倍優しかったと思います。

実はムワのことを記事にするか迷っていたのですが、書くことにして良かったです。というのも、今になってこの文を書きながら、ムワのこと、ムワと話したこと、ムワと過ごした時間、を思い出すことができ、しかもやっと泣くことができました。本当は悲しいはずなのに、あまりにも遠いところで起こっていることのようで実感がなくて、なんだかダンナの気持ちを分かってあげられないような不安定な気持ちが続いていたので・・・

私のなによりの心残りは息子を見せてあげられなかったこと。顔を見せるだけにでも帰っておけばよかったと思ってももう遅い。

でも、きっとお祖父ちゃんが大好きだったムワはお空でお祖父ちゃんと会えて喜んでいるに違いない。

二人の結婚指輪、しっかり私が受け継ぐからね!
結婚式での話ですが、私とダンナのではなく、うちのダンナのお兄さん(私の義兄)の結婚式で実際に起こった話です。

ネパールの結婚式はいろいろ形式があるらしいですが、義兄の結婚式はスタンダード(もちろんネパール流で)に行われました。といっても、想像できないぐらいのなが~い過程を経てお嫁さんをもらってきたと言った方が正しいかもしれません・・・(この結婚式の過程はまた別の記事でご紹介します)

そしてお嫁さんのお披露目をする日。家の前の空き地一面に特設テントを張り(←サーカスが来たみたいになってました)、約2千人近いお客さん(親戚や友人、そのまた親戚など)が行き交う立食パーティーが開かれました。華やかな音楽(もちろんネパール流の)が流れ、老若男女が民族衣装や正装に身を包み、お祝いモードがそこいら中に広がっていました。

娘はその時ちょうど6ヶ月になったばかりで、まだ母乳を飲んでいました。私は結婚式用に義母が用意してくれたサリーを着せてもらい、嬉しい反面、慣れないせいか歩くのも大変で、授乳するにも一苦労、さらには数え切れない程の親戚に挨拶、とお昼を過ぎる頃にはヘトヘトになっていました。

そんな中、ダンナが娘を連れて友人と話している間に、トイレに行ってきておこうと私は思い、家の二階部分にある義父母の部屋へ。

トイレから出てきたら、部屋の中に見たこともない男の人がいて、引き出しの中を見て何か探している様子。まあ、見たこともないっていうのは私が知らないだけできっと結婚式に来てる人だなと思い、

「どうしたの?なにさがしてるの?」(当時ネパール語は少ししか分からなかった)と片言で聞いてみました。

するとすごい勢いで振り返ったその人が、これまたすごい勢いで私の前まで飛んできました。そして、

「カメラのフィルムを探しているんだ」と言いました。

「カメラのフィルム?」と私も考えてみたものの、義父母の部屋の何がどこにあるかなんて詳しく知らないし、ジェスチャーで「下(一階)」と答え(一階には親戚がたくさんいた)、その人は素直に「下ね」と階段を降りていきました。

でもよくよく考えてみると、結婚式に来てる人のわりには服装も野暮ったい感じだったし、親戚だったとしても人の家の引き出しを勝手に開けるって???と疑問に思い、一応ダンナにそのことを報告しました。そしたらダンナも「それはおかしい」と言い出し、念のためと私たちの部屋(3階)をチェックしに行きました。

すると部屋の前に置いてあった(当時リフォームのため大きい家具を部屋の外に出してあった)箪笥の鍵がこじ開けられていました。中にはほとんど何も入っていなかったので、盗られたと思い当たるものはありませんでした。

「泥棒だ!」とダンナが言うと、それを聞きつけた義祖母が義祖母の部屋にいた親戚に事情を報告。私はみんなから「どんなヤツだった?」「ヤツは何をやってた?」と質問攻めにあい、覚えている範囲でその泥棒と思われる人の特徴や、何をしていたか、どんな会話をしたのかを説明しました。

それから泥棒捕獲大作戦が繰り広げられていた模様。

というのも私は「もし慣れた泥棒だったら人ごみに紛れて逃げて、もうここにいない」と思ってテントに戻り、空腹を満たすべく「バイキング~」とご飯をお皿に盛っていたので。←授乳期ってお腹空くのよね。



数分後・・・

1階のお祈りをする部屋(2畳ほどの部屋で神様がたくさん祀ってある)で犯人確保!!

誰が捕まえたかって?
そりゃーもちろん、うちのダンナのハッスル祖母

犯人よ、
私に言われたがまま正直に1階に行き、行き場をなくして神様の部屋に隠れていたとは・・・
しかも、80歳を超えるおばあちゃんに捕まるって・・・

お手伝いの男の子に羽交い絞めにされ、外の階段の手すりに縄で縛りつけられ・・・

しばらくして警察が来て、犯人が盗ったものを確認。

古くてもう使えないカメラ
古くて伸び伸びになっているカセットテープ 5本
リップクリーム

以上



え~~~~~!!!
なんでこんなもの盗ったの?とみんなで呆れてしまったほど。
しかも被害にあった私たちも覚えていなかったほど存在感のない物品ばかり・・・
カメラのフィルムを探していたのもまんざらその場しのぎの言い訳ではなかったよう・・・

これで禁錮15日

後で分かったのですが、実はこの犯人、結婚式のケータリング会社にその日雇われた新人だったそう・・・だから正装ではなかったのね、と納得。しかも、これが初犯だったんだって。


親戚の人たちに「ひとりで犯人と遭っちゃったんだって?怖かったね~」「無事でよかったね~」「襲われたりしてたらと思ったらゾッとするね~」といろいろ声をかけてもらったけど、この事件の一番の被害者は私でもなく古いカメラを盗られたダンナでもなく、お嫁さんだと思います。警察が来たことによってお祝いムードは絶たれ、披露宴はお開きになりました。

「ず~っと同じところに座って、ひっきりなしに挨拶しなきゃいけなくて、疲れてたから助かった~」って義姉は笑顔で言ってたけど、やっぱり門出の日にこんなハプニングなんて嬉しくないハズ!!

盗んだものは大したことなかったけど、結婚式を台無しにした罪はデッカイ。
犯人は牢屋にいる間にそのことに気がついたかなあ。
出所の時、証拠品として警察が預かっていたカメラなどをダンナが取りに行ったとき、犯人はダンナの足元にすがって「もうしません~、許して~」と泣いたそうです。

この犯人、許す?許さない?