3連休最終日。何をしようかと旦那と話し合い、私は山手のお屋敷街を抜けるバスの終着まで行ってみたいと主張。
旦那は戦争で犠牲になったカナダ人の墓地があるらしいから行ってみたいと主張。
たまたま方角が一緒だったので バスでその墓地まで行ってみることになりました。
まずは バス。神奈中バスの11系統は「山手ライナー」 と呼ばれ、落ち着いたブラウンに塗られた車体がオシャレ。
中華街から港の見える丘公園を経由して
外人墓地
山手のお屋敷街 、そして 米軍施設だった跡地を回ります。
最終的には 保土ヶ谷駅へ行くのですが、今日は乗り換えて、永田台公園前で下車。
停留所から徒歩5分ほどで、旦那が行きたがっていた英連邦戦死者墓地に到着。
まず最初に記帳場が見えてきます。
戦没者に敬意を込めて、名前を記帳。
春を告げる梅の花が飾られていて、手入れが行き届いていることが伺われます。
墓地は3ヘクタールと言う広大な土地に、イギリス区、カナダ・ニュージーランド区、オーストラリア区、インド・パキスタン区に別れ、日本国における英連邦の戦死者が眠っています。
いずれも第二次世界大戦の際の捕虜や、戦後イギリス連邦占領軍としての任務中の病死・事故死者ばかり、1,800人が埋葬されています。
一つ一つの墓碑銘を見て行くと、50代や40代で亡くなった方は少なく、ほとんどが20代の若者、時々30代。
中には名前すらわからない人のお墓もありました。
イギリス区の一角には、荼毘に付された戦没者の遺灰が納められた建物もあります。
一般の市民ですら飢えていた時代、捕虜として日本に連れてこられた兵士たちは、いったいどんな暮らしをしていたのかと、心が痛みます。
お隣のエリアはオーストラリアの兵士、そしてその奥に行くと、カナダとニュージーランドの兵士を祀ったエリアになります。
おなじみのメープルの模様が、カナダ人兵士であることを象徴しています。
歴史好きの旦那は、亡くなった年から、戦地を予測したりして、興味深く一つ一つのお墓を見ていました。
敷地の一番奥のエリアには、第二次世界大戦後の戦没者を祀っているエリアがあります。
朝鮮戦争や、マレーシアの紛争、そしてケニアで戦った英霊たちのお墓でした。
「戦争は良くない」と言うのは簡単ですが、なぜこの若者たちが犠牲にならなければならなかったのか、悲しみと怒りがこみ上げます。
敷地内の梅は、可憐な花が咲き始めていました。
救いは、この墓地が今もきれいに手入れがされていると言うこと。
戦争で犠牲になった英霊が、決して忘れ去られているわけではないことが感じられて、少し安心しました。
普段は壊れた水道のように良くしゃべる旦那も、ここでは静かに、時間をかけて、そして会ったこともない若者のお墓に対し、敬意を表しているようでした。
横浜にこんな場所があったのですね。
12時に到着して3時間もの滞在。
華やかな観光地ばかりが話題になりますが、こういう歴史も横浜にはあることを知り、厳かな気持ちで帰りのバスに乗りました。
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