当たり前って一体なんだろう…。

 

歩けている時は

行動している中で

人にお願いをすること

なんてのは

ほとんどなかった。

 

どこに行くにも、何をするにも

自分ひとりで気ままに行動出来た。

 

食べたい物や行きたいお店が見つかれば行く。

観たい物や行きたいとこがあれば行く。

 

行動にたいして

不自由がない

 

それが

 

当たり前だった。

 

でも

車いす生活になってその当たり前は崩れていった。

 

行動する時は人の手を多く借りることになり、

食べたい物、行きたいお店を見つけても

階段や段差があるかを確認する。

階段や狭いお店であれば行くことを断念し、別のお店。

 

行きたいお店ではなく

行けるお店を探す。

 

行きたい場所があっても坂道や舗装されてない道であれば諦める。

近くに行かず、遠くから眺めて終わる。

 

それが

 

車いす生活の当たり前。

 

ただ単に、歩けなくなっただけ

2本脚から車輪に変わっただけで

こんなにも変わるのか。と思った。

 

車いすになったのだから、それが当たり前

車いすになったなりの生活、行動をすべき。

 

そんなことを言われた事がある。

 

健常者も車いすも同じ人ではないのだろうか?

 

食べたい物、やりたかった事を制限される理由はなんなんのだろうか?

 

歩けているのが当たり前ではない。

いつ失うかもわからない。

 

自分はそうならない。と誰しもが思っている。

でも。

 

誰しもが失う可能性はあるのだ。

 

そうなった時

 

車いすだから、車いすなりの生活で良いです。

食べたい物もやりたい事も、行きたいとこも我慢します。

 

それでいいんでしょうか?

 

 

世の中はどう考えても

人と人が支えあって助け合って生きている。

繋がってないようで

みんなが繋がっている。

 

いつか自分のため、大切な人のために

みんなに共通する

当たり前をつくって

足りない部分は

支え合っていくべきなのではないだろうか。

 

この問題に関しては今はこう思う。

 

私は人の可能性。

人は優しい生き物であるはずと信じすぎてるのだろうか。


https://youtu.be/2MqifxT8upc


https://youtu.be/GX6P--WsZeA