病院施設全体のお祭り『並木祭』

 

国リハにはリハビリ病棟以外にも、就労施設自立支援棟

そして研究所などがあり、

車椅子の人から、視覚、聴覚障害者まで幅広く施設内で生活している。

 

お祭りでは一般公開し、院内の人たちが出店や体験教室など開き、

障害者から健常者まで楽しく学び、遊べることが出来る。

 

頸髄損傷レベルの人しか参加できないという、車椅子ラグビーの見学をした。

想像以上に激しく、スピーディーな動きで興奮し、車椅子同士が衝突する音は心臓に響いてきた。

『知る』『感じる』『体感する』という事は

とても大切だと実感した。これはパラオリで観ること間違いなし。






東京五輪の影響もあって

ここ一年で、障害者関連のイベントや番組というのが多くなった。

障害者本人たちの受け止め方や感じ方というのはそれぞれあると思うが、

情報として知ってもらうこと、知るキッカケが出来ることは素敵な事だと感じる。

 

體に少し不自由があるだけで、

感じること、考えることは一緒なのだから…。

 

 

一緒に入院している20代前半の人たちと

夜はボードゲームやカードゲームをしながら、色んなことを話す。

 

體の調子や失禁の話。恋の話から、これからのこと。

 

お互いに乗り越えてきた壁があるからこそ、なんでも話せる。

何を話しても引かれないだろう。という気持ちがあるからだ。

 

手に麻痺がある人でトランプをするのが大変であっても、助けない。

「リハビリ!リハビリ!笑」と言って笑いに変える。

 

電車にひかれて片足をなくした人は、義足を180度回転させ

軟体人間の芸をしてみたりと、

少なくとも、私と一緒に過ごしてきた人たちは

障害を笑いに変えていた。

 

大変そうだから、かわいそうだから、と思い

何も聞かず、なんでも助けてあげようとするのは違う。

 

聞かれて嫌なことなら言わないし

聞かれても気にしないのなら話す。

 

対話もないことが一番いけないことなのだと感じる。

 

ちゃんと恋愛出来るのだろうか。

 

私を好きになってくれる人はいるのだろうか。

 

好きになってもいいのだろうか?

 

みんなが想いを吐き出す。

 

けれど、未来のことはわからない。

でも、自分が逆の立場なら。車椅子でも片足義足でも

好きになった人なら乗り越えれると思っている。

 

出会いはいつ起こるかわからない。起こらないかもしれない。

でもそれは、健常者であっても同じことではないだろうか。

 

ただ、自分の障害と共存する勇気がなく、人との関わりが少なければ

出会う確率も下がってしまう。

 

障害を受け止めることは出来ない。

普通に歩けたほうが良いに決まってる。

 

だから、私は受け止めてはいない。

ただ、歩けるようになるその日まで共存していくことを決めたにすぎない。

 

 



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