早いもので、日曜日もあとわずかで終了・・・。


明日からまた始まる仕事を頑張らねば。


そして、今日23日は、うちの父親の命日なんです。


僕の誕生日は、5月23日、母親の誕生日は、11月23日。

偶然なことに23日繋がりなんですよ。


なので、毎年この日は忘れる事はないんです。


今日は、久々に父親のお墓参りに行ってまいりました。


花がいっぱい飾られておりました。


毎年どなたか知りませんが、3月23日にお花が必ず飾られているんです。


花の数から2人の方が来ているみたいなんですよ。


うちの母親と誰なんだろうと探してはいるものの、10年経っても誰だか分かりません。


ホント有難いもんです。


うちの父も幸せもんですね。

父は、根っからのビジネスマンであり、病気のことは家族に隠してまで入退院を繰り返しながら働いてました。


僕ら家族が病気の事を知ったのは、父が亡くなる2週間前。


主治医の先生は、父から家族には病気のことは、黙っているようにと言っていたのですが、余命を知っていた先生は、ようやく家族に話をしてくれました。


今思うと、退院をすると家族に心配させまいと、新しいスーツや靴を買ったりと普段と変わない行動をとっていた父はホントに強い人だと思いました。


父が亡くなる一週間前、父は意識はあるものの、ところどころ覚えていないという症状があらわれました。


家族との話し合いの上、残りは自宅で療養しようという話でまとまり、父も家に早く帰りたいと言っていたので、主治医の先生と助手の先生の動向のもと、救急車で自宅へ帰ることに。


僕の車が自宅まで先導して、当日は帰りました。


もう外に出ることは出来ないかもしれない父でしたので、長年働いておりました会社の前を経由しながら帰りました。


家まであと残り5キロぐらいの場所で信号待ちをしたので、バックミラーで救急車が付いてきているか確認をしてみました。


確かについてきているのですが、どうも救急車の車内の様子が変なことに気づきました。


主治医の先生達が慌しく、動いておりました。


車を止めて降りることもできない道路でしたので、いち早く家へと急がなくてはと少し速度を上げて家まで先導をしていきました。


家に着くなり、泣きじゃくった母親が救急車から降りてきて、見ると父の口には酸素マスクが付けられておりました。


ようやく家へと父を運びましたが、もう声を掛けても反応はしません。



それから10分後、先生が「もうこれ以上は難しいです。」


という言葉で、酸素マスクを外すことに。


外したと同時に父は亡くなりました。


とそんなことが、10年前にあったんですよ。


今となっては、あの時家に帰って亡くなることができたから良かったのではと、母や姉とも話しておりました。


チョットしんみりしちゃってすいません。


それでは、今日はこの辺で・・・パンダ