ある日の診察室でのヒリヒリする光景です。

 

「どうして死んではいけないのですか!」「殺してください!」「つらいんですよ!」「このままじゃ学校にも行けないし、普通の高校に行けない。定時制なんて行きたくない!」

 

ある女子中学生の患者さんが泣きながら訴えていました。

うつ病や統合失調症のような精神病の悪化による所見ではないようです。脳に起因したものではなく、いわゆる「心の叫び」というものでしょう。

 

 

これまでの生育状況や情動不安定になりやすい性格的素因、現在のストレス因(例えば家庭環境や学校での人間関係)などが

背景にあるようです。もしかしたら自分がこの世に必要ない存在なのではないか?と自信を失っている、そもそも自信を持てたこともないのかもしれません。認められていない、居場所がない。それら様々な要因が重なり合って、心の叫びとして冒頭の発言が出ているのだと推察されます。

 

こんなに苦しいなら「死にたい」、「逃げたい」という気持ちも本当でしょう。実際には死なずに、周囲を巻き込んで自傷、あるいは自殺未遂を繰り返すわけですが、いつ本当に既遂してしまうかもわかりません。周りから見ればアピール的行動やわがままと捉えられる面もあるかもしれませんが、当の本人はそんなつもりはないと思います。どうか自分の存在をわかってほしい、理解してほしい、開放してほしい。切にそう願っての言動でしょう。また心のどこかでは「生きたい」とも思っているのでしょう。

しかしそれが苦手なのです。とても不器用なのです。

 

自宅ではオーバードーズを繰り返し、物を投げ、飲酒、リストカット、首を吊ろうとするなどの行動が繰り返される。

そして母親と同伴で診察に来て、大きな声で、泣きながら叫ぶ。母親も疲弊しきっている。

 

 

何か自分にできることはないか?とこちらも追い込まれます。

 

 

 

「生きる意味」「なんで死んだらいけないのか?」などの問いについては、返答できません。だって私自身、その答えは見つけられていません。

 

「家族や周りの人が悲しむから?」 そんな当たり前のことを言ったところで響きません。

 

「あなたの考え方には偏りがある」などと指摘し修正を促したところで、そんな悠長なことを言っている場合ではないのです。

 

「薬を調整する」多少は効果があるかもしれませんが、それは(医者の逃げ)でしかなさそうです。

 

「生きていればいいことがある」などとも言えません。そんな無責任な保証はできないから。そもそも、いま、死にたいくらいにつらくて、いま、どうにかしてほしいのだから。

 

 

結局できることは、話を真剣に聞くこと。このつらい瞬間をせめて共有すること。

当座できることはそれくらい。そして死なないでほしいと祈ること。次の診察日にまた顔を見せてほしい。

 

 

ひどい無力感に襲われる一方、こんな深刻な状況を自分ならどうにかできると考えること自体おこがましいとも思います。

 

 

 

 

このような危機をなんとか乗り切れたら、日々の暮らしの中で抜け出すきっかけを見つけてほしい。自らの存在が大切なものであると気付いてほしい。年齢を重ねることで感情の不安定さが静穏化していってほしい。

 

 

いのちの電話などの担当者は、どのように対応しているのだろうか。