作家の宮本輝さんが好きで好きで、
20代の頃、むさぼる様に、読んでいました。
宮本輝さんは仏教に詳しくて
興味深かったのもありますが
不器用で、怒りっぽくて
私と同じ、一般的に見たら不幸で波乱万丈な青春時代、
親の借金取り立ての人に追われた
その中で
光を諦めず、光を見出し
笑いながら生きていく人間そのままの姿の主人公や
人間の汚さ・愚かさ・弱さ、そして美しさをありのままに書いているのに
作品の中に悪人はいない、と感じさせる
綺麗事ではない愛。に、とっても励まされました。
また、エッセイの中の、宮本輝さんご本人の
煩悩や弱さ・苦しみをも自分で受け入れ向かい合う強さに惹かれ、
ファンレターを出して、私も頑張って生きていく、と記したことを覚えています。
私の一番好きなエッセイ「命の器」の中の一節を
コーチングの勉強でのメーリングリストで
紹介したものが、いま出てきて、
今も心から共感でき、今の私にも必要なことだから
また触れることが出来たのかなぁと思いました。
私の周りの方にもきっと、共感して頂けると思うんです。
下に紹介します
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運の悪い人は運の悪い人と出会いつながり合っていく。
偏屈な人は偏屈な人と親しみ、
心根の清らかな人は心根の清らかな人と出会い、
そしてつながり合っていく。
「類は友を呼ぶ」ということわざが含んでいるものより、
もっと興味深い法則が、
人と人との出会いを作り出しているとしか思えない。
仏教的な言葉を使えば、宿命とか宿業であったりする。
それは、事業家にも言える。
伸びていく人は、たとえどんなに仲が良くても、
知らず知らずのうちに、落ちていく人とは疎遠になり、
いつのまにか自分と同じ伸びていく人と交わっていく。
たくらんで、そうなるのではなく、
知らぬ間にそのようになってしまうのである。
抵抗しても、抵抗しても
自分という人間の核をなすものを共有している人間としか
結びついてゆかない。
私は最近、やっと、この人間世界に存在する、
数ある法則の中の一つに気が付いた。
「出会い」とは、決して偶然ではないのだ。
でなければ、どうして「出会い」が
一人の人間の転機となり得よう。
どんな人と出会うかは、その人の命の器次第なのだ。
「命の器」宮本輝