(つづき)
私:仙人さんの意識と重なって、そこから見える山の景色はどうですか?
D氏:広い、広い、広いです!
どこにでも瞬時でいけちゃう。思ったときには、もう瞬間移動している。
バイクの比じゃないです。人間界で言うならバイクがせめてもの「似て非なるもの」なんだろうけど。まあ、あれは乗り物の中でも制限が少ない乗り物だから。
私:他には何が見えますか?
D氏:月。雲。湖……。ちょっと暗い感じだけど綺麗ですね。
私:その月とか雲とかも全部自分の意識と一体化してる感覚なんですか?
D氏:そうですね。実態がない。ただ漂ってる感じです。
人間として暮らすのと、こっちで暮らすのは全然違いますね。
D氏:この世界では何が楽しみなんだろう?
人間界にいれば、美味しいものも食べられるし、お酒も飲めるし、楽しいことがあるけど。
私:仙人さん、そっちでは何が楽しいの?
D氏:「わしは漂ってるだけじゃ」と言ってます。「感情はない」と言ってます。「楽しい」とか、そういう概念もない。
D氏:「自分」ってあるのかな? 素粒子で漂っているだけなのかな。
「わしは上から見てるだけだから」と言ってます。
D氏:「自分も(人間界に)降りてるけど、自分はいつも上から見てるから」と。
D氏:え…? 二人いるのかな?
「上にいる自分」もいるし、「下にいる自分もいる」し、って感じなんですよ。
私:そうか、 同時存在しているんですね。
だから「上にいる自分」には感情の持ち越しはないんだ。
感情を持った人は下に降りて行ってるから。
D氏:そういうことですね。きっとね。
私:そうすると、Dさんがこの人生が終わった時には、上にいる自分と下にいる自分が一つに戻るって感じなんですかね。
D氏:上から見る対象はいなくなりますね。はい。
「あちこちにいろんな縁で、いろんなところに手を突っ込んで見てるだけ」と言ってます。
なんとなくわかりました。
「ただそこにあるだけ」って感じなんだろうな。
私:他に何か視たいものは?
D氏:あとは特にないかな。
私:じゃあ一回戻ってきましょうか。
(間)
私:どうでしたか?
D氏:こういうのを見た後にまとめるのが難しいですね。不思議な世界でした。
私が最初に見たときには、仙人さんがエネルギー体だったり、人間だったりしたのですが、仙人さんはそれについて、「あなたがそう思って見てるだけだよ」と。
そう。
本当に目に見えない世界は、すべて「自分のフィルター」を通して視ているのです。
私:あと、仙人さんの世界には「感情を持ち越してない」という意味なんですけど。
これは最近「水に小石を落としたときに広がる波紋」を使って説明しています。
(つづく)