はまづくのMBAブログ

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MBA留学で日々感じることをつれづれなるままに書き記します。

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個人的に戦争が起こるのか起こらないのかについて興味があるので色々と調べているのですが、今のところリーマンショックの後に1929年の世界恐慌のようなことが起こっていないので、楽観視しています。


無茶苦茶シンプルに考えると結局戦争が起こる時というのは、「(基本的には本能的に生き物を殺したくはないけど、)殺しあった方が得られる経済的利得が大きいかもしれない」という究極のdecision makingの帰路に立たされた時なのかなと。


例えば、世界恐慌のような大混乱の時代に以下のような条件に立たされたと仮定する、


①戦争に参加せずにそのままの場合、ほぼ100%の確率で経済的損失がマイナス100兆円、

②戦争に参加して50%の確率で戦争に勝った場合の経済的利得がプラス200兆円、
50%の確率で戦争に負けた場合の経済的損失がマイナス300兆円


そうすると、期待値的には「①戦争に不参加:マイナス100兆円、②戦争に参加:マイナス50兆円」となって、「どうせこのままいってもジリ貧で国民は飢餓で苦しむんだから、勝てるかもしれないし戦争に参加した方が合理的」という判断になるわけです。


ということで、第二次大戦後はそういう判断にならないように、IMFなり、IBRD(World Bank)なりを作って1929年に起こった世界経済恐慌のようなことが起こらないように国際金融の安定を図ると共に、第一次大戦後のように敗戦国に天文学的な賠償金も要求せず、むしろ経済援助をして戦後復興を助けたわけです。


上の例で言うと、どんなに世界経済が恐慌に陥ったとしても、IMFや世界銀行が各国政府に緊急融資をするなりして、上の例で言えば、①の戦争を始めない場合の経済的損失がマイナス10兆円くらいで済すむシステムを作り上げたというわけです。(そうすれば期待値は①戦争に参加しない場合:マイナス10兆円、②戦争に参加した場合:マイナス50兆円となって、戦争を始めるインセンティブがなくなる)そして、一応それが2008年のリーマンショックに始まる「The Great Recession」の時にはちゃんと機能したのかなと。


もちろん、この考え方は「各国首脳が経済合理性をもとに適切に判断できる」という前提に立っているので、ある国のクレイジーな国家元首が非合理的に「もう戦争始めちゃえ!!」となった瞬間に崩壊してしまうので、そういう窮鼠猫を噛むという状況にもならないように、先進各国は例え国家元首がクレイジーだとしてもある程度資金援助して、生かさず殺さずの状況にしておいているわけです。



長くなりましたが、結局戦争が起こる起こらないというのは、経済の困窮状況に紐づいてしまうわけで、そういう意味では、今後は「貧困すぎてもう合理的になんて考えてられないし、捨身の覚悟で戦争始める!!」というようなある種のテロリスト的な考えを持ちそうな人たちをどうサポートして、心に余裕を持たせてあげられるかが鍵だと思うわけです。テロリストももっといい暮らしをできていたなら、「まぁアメリカのこと嫌いだけど、別にテロして命かけて嫌がらせするほどのモチベーションはないわ~」となるはずなので。。。



ということで、「戦前戦後の経済的な豊かさの違い」が気になったので世界の一人当たりGDPを調べてみました。



第一次大戦の前の1913年の世界の一人当たりGDPは1,543ドル。第二次大戦前の1940年が2,181ドル。2010年が7,814ドルなんだそうです。(http://www.ggdc.net/maddison/maddison-project/data.htm)
単純に第二次大戦の時より3.6倍豊かになっているわけです。その分、どんなに不況に陥っても欠食児童が出たり、人身売買が横行したりというところまで追い込まれる可能性は非常に低くなったわけです。(日本でもバブル崩壊後に自殺者こそ増えたものの、飢餓や人身売買が横行したという話は聞いたことがありません。)



最後の結論は、今後いかにこの「一人当たりGDP」を高めていって、みんなが心に余裕を持てる世界にしていくのかということが鍵なのかなと思っています。方法は、①GDPそのものを増やす、②人口を減らす、という二つなので、①については飽和状態の先進国ではinnvationへの投資を進め、未だ非効率な途上国では先進国モデルの移転と資金援助で、経済発展を進めていく、②については先進国の人口減少傾向を受け入れると共に、途上国の人口爆発を抑制する施策を講じるということなのかななんて考えてます。



頭の整理の為に書いてみましたが、今日はここまで。
基本的には納税は国民の義務であるのに(日本国籍を与えられることの対価として当然支払うべきサービス料金)、安倍さんが「国民のみなさんに税金をご負担頂く」うんぬんとテレビで言っているのを見てもの凄い違和感を感じました。



民主主義的な近代国家が出来上がってかなり時間が経ってしまったので、そもそも国家ってなんであるの?なんで税金払わなきゃいけないの?誰の為の税金?みたいな根本的なことが置き去りになっている気がします。



国家というのは、国民一人ひとりがバラバラにやってしまうと非効率なことを(例えば、警察制度だったり、国防だったり、一人ひとりが国内外の敵にいつ襲われるか怯えながら武装して日々暮らすのは大変ですし非効率ですから)国民から広くお金を集めて、選挙で代表者を出して、一括して取り仕切ってもらう為に作ったものですよね。



その他、失業保険にしても、健康保険にしても、年金にしても、もし国家がなかったら国民各自で将来を見越して準備しないといけないわけです。個人で準備できる人もいるでしょうが、各自では準備できない人もいますから、そういう人が景気が悪くなった時に窮鼠猫を噛むといった具合に暴徒と化して国が荒れるなんてことがかつて歴史上死ぬほど繰り返されたので、そういう“窮鼠”がたくさん出て社会が不安定にならない為にも、国家が責任を持ってお金持ちから少し多めにお金を取って、貧しい人に施すような仕組みを作っているわけです。



累進課税(お金持ちの方がよりたくさん税金を払う仕組み)にしても、お金をたくさん稼いでいる人の方が貧乏な人より多く国家の提供する公共サービス(たとえば警察システムだったり、司法システムだったり)使っていますよね?ということで正当化されているわけです。もっと極端に言ってしまえば、今の日本のお金持ちが安穏と稼げているのも、国家が軍を持って他国からの占領を防いでいるからですよね?法律と裁判制度を整備して余計ないざこざがないからですよね?ということなわけです。



さらには、海外を自由に渡航できるのも国家が発行してくれる「日本国籍を証明する」パスポートの賜物なわけです。海外で暮らすと分かりますが、自由に入国できない国籍のパスポートなんて世界中にたくさんあるわけですが、日本国籍は過去の様々な国際協力や法整備がしっかりしていて治安も非常に良いこともあって、ほぼすべての国にビザの取得も費用の支払いもなしに自由に行き来できるわけです。



ということで、税金はそういう国家が提供するサービスに対するサービス料金なので、日本国籍を持って、日本の良い治安をエンジョイして、日本の整ったインフラを謳歌している日本国民は当然払うべきもので、払わない人は国外追放して、日本国籍の素晴らしさを外の世界で実感すべきなのですが、如何せんそういう人に限って日本のことしか知らなくて、今ある日本の公共サービスは「あって当たり前」と思ってしまっているのでタチが悪いわけです。



政治家も政治家で、そういう国民におもねって「税金をご負担頂く」なんて下手に出ているのも、政治家はその税金を無駄遣いしていることも承知しているからなんですね。小学校の時、四谷大塚の社会の教科書に載っていたのを鮮明に覚えているのですが、政治家一人あたり年間一億円の経費が掛かっているんです。(もう20年以上も前のことですから多少変わっているかもしれませんが、誤差の範囲だと思います。)



本当に政治家が日本を変えたいと思えば、年間一億円も経費もいらないでしょうし、そもそも議員定数も削減すべきなのにその聖域は守っているわけで、そういう意味で、政治家も国民もお互いに不信感を抱いたまま進んでいるというのが、この安倍さんの“国民の皆さんに税金をご負担頂く”という表現に詰まっているなぁと思うわけです。



もし、政治家が生活ギリギリの収入まで経費を削って、本当に必要な数だけの議員定数まで削減して率先垂範するならば、安倍さんも力強く“税金は将来の世代の糧であって、国民の義務である!日本経済が苦境の今、“欲しがりません勝つまでは”の精神で増税にも耐えて将来に備えるべし!”というのは全然納得感あるんですがね。



最終的な結論は、結局どんなに景気が悪いといっても日本はまだ色々な意味で余裕こいているんだと思います。本当に飢餓が大量に出たり、戦争で攻められるようなことが出ないとこの国は変わらない。江戸末期に黒船が攻めて来たように。




日本を擬人化して一人の人間と考えると、今の日本くんはぜい肉(借金)だらけの肥満体型です。


このままでは心臓にも負担がかかり、色々な成人病を併発してしまう可能性が高く、最悪の場合死に至る(国が破産する)ことも想定されるので、なるべく早く食事制限(増税)をするか、運動量(GDP)を増やしてスリムで筋肉質な健康体にならなければなりません。



ということで、日本くんのジムトレーナーのアベノミクスくんが三本のメニューを作ってまずは運動量を増やすことにしました。



1本目のメニュー(金融政策)と2本目のメニュー(財政政策)はジョギングとエアロビクスのような有酸素運動にしたので、効果はすぐに現れて、消費カロリーはすぐに増えて、良く汗もかき、余分な水分も抜けたので体重も少し落ちました。



一方、3本目のメニューはそもそもの「基礎代謝」を増やすべく、筋力トレーニング(成長戦略)を取り入れました。こちらは実は1本目や2本目よりもダイエットを成功させる為には重要なのですが、一朝一夕には効果が見えてこないのが難点です。数ヶ月じっくり腰を据えて地道に努力をしないと筋肉はつきません。



そんな中、1本目と2本目のメニューがうまく効果が出始めたので、ここに食事制限(消費税増税)も加えることにしました。



するとどうでしょう、食事量を減らしたせいで日本くんはストレスが溜まってしまい、ジムで走るのもおっくうになり、摂取カロリーは減ったものの、今度は運動量が減り、消費カロリーが減ってしまいました。



本来であれば、来週にはさらに食事制限を強める予定でしたが、このままだとさらにストレスと疲労感が溜まって、ジムのメニューどころではなくなり、リバウンドの可能性も出てきました。さて今後どうすべきでしょうか、、、



ということで、これが今の日本と安倍政権の状況かなと。



増税は"延期"すべき!という人も、日本くんが肥満体型であって、いずれはダイエットをしなければならないのは理解しているので、増税の"中止"ではなく、あくまで"延期"を主張している人が大半だと思います。



この議論は「ダイエットは明日から!」の議論に近い気がします。そうやって延期して延期して、「ジムのメニューに体が慣れてきて運動量(GDP)が上がったらまた食事制限(増税)のことも考えよう!」とかいうわけですが、いつジムのメニューに慣れるのか、いつ筋肉がついてくるのかもよく分からないわけです。




このままぜい肉を蓄え続けて早死にしないことを祈るばかりです。






元々海外でのM&Aなどを担当していたので、未知なことの多い国での新しいビジネスのリスクをどう評価するのが適当か?ということに興味があり、今ファイナンス系の授業を取っていたのですが、驚いたことに昨日教授が「国際的なビジネスでどうやってリスクを評価していくかといのは、アカデミアの世界でも“未だにコンセンサス(共通の理解)がない”というのがコンセンサスだ」ということを結論として仰られたので、なーんだ、MBAってホント使えないなぁと再度認識した次第です。



複雑な世界を数字とか公式で一義的に捉えるなんて土台無理な話なんですよね。何となく、それっぽい公式に当てはめて、人を騙して金を儲けることはできたとしても。。。



自分の頭の整理の為にも、今のリスクの把握の仕方について少し細かいところまで整理したいと思います。



例えば、今中国にあるIT企業を買収しようとしているとします。この企業が今後どういう成長をするか、そして成長をしたとしてもその反対に中国政府に接収されてしまったり、中国元の為替が乱高下したり、今後様々なリスクに晒されることも想定されるわけです。



そういうアップサイド(儲ける)のポテンシャルも、ダウンサイド(損する)のポテンシャルも不確実な天文学的な数のパターンが想定される全てのケースをひっくるめて、今この中国IT企業を“いくらで買うか?”というのを数字で計算しないといけないわけです。



まずは、アップサイドの方から計算をしていきます。例えば、中国のIT関連市場の規模がここ10年、年率10%のペースで伸びているので、この企業の売上も少なくとも年平均10%では伸びるだろう、とか、さらにこの企業は別の中国大企業Aと15年の長期の専属契約を持っているからこの売り上げも加味して、+2%は加味しよう、とか、一方、経費は今ムダになっている部分があるから5%くらいリストラできるな、などなど、、、、で今後5年とか10年先までの予想の損益計算書(事業計画)を作っていくわけです。



そうして計算した利益が、例えば1年後10億元、2年後に20億元、3年後に30億元、、、10年後には100億元になりそうだと予想したとします。簡単に言ってしまうと、“買収価格”というのはこの企業から将来得られるであろう利益(もっと正確に言うとフリーキャッシュフロー)を全て合算した金額になるわけですが、ここにはこの企業が持っているリスクがまだ加味されていませんから、現実にはこの将来の利益を“リスク(%)”で割り引いていかないといけないわけです。(これを“割引現在価値”に引き戻すなどと言います。)



で、ここからが本題なのですが、「それじゃ、中国という国柄、ITという動きの早いビジネスの特性を加味した上で、どれくらいの割引率でこの利益を割り引いたら妥当か?」というのが非常に難しいわけです。



一応、このリスク(割引率)を計算する公式というのがありまして、この割引率を専門用語でWACC(ワック:Weighted Average Cost of Capital)と言うのですが、日本語に直すと「加重平均資本コスト」となります。



式で表すと、


WACC=E/V*Re+D/V*Rd(1-T)

E/V :資本が総資産に占める割合
Re   :資本に対する期待収益率(%) ※要はこの会社に投資している投資家がどれくらいのリターンをこの会社に期待しているか
D/V :負債が総資産に占める割合
Rd   :負債にかかる利子(%)
T     :法人税(%) ※負債については利子の支払いによって節税効果があるので法人税分安くなります

となります。


ちょっと式にするとややこしい感じがしますが、要は債権者(この会社にお金を貸している銀行)がこの会社をどうリスク評価しているか?という%(つまり借金に対する利子率)と投資家がこの会社をどうリスク評価しているか?という%(つまり株が生み出す収益率)をそれぞれの総資産に占める比率を加味した上で加重平均しているということです。



で、負債に対する割引率は、銀行が独自のリスク評価基準を持って、「これくらいの規模でこういう事業をやっている会社なら年率5%で金貸してもいいな」とか、「この会社はベンチャー企業で潰れるかもしれないから、利子は年率15%くらいにして高めにとっておこう」とか、決めているのでその実績値をそのまま使います。今回買収するつもりの中国IT企業は年率7%で銀行から借金しているとすれば、そのままその7%を使います。



そして、次に資本に対する割引率を計算せねばならないのですが、これが結構曲者です。ここにもやっぱり公式があります。専門用語ではCAPM(キャップエム:Capital Asset Pricing Model)と言います。


式は、


Re=Rf+β(Rm-Rf)

Rf :リスクフリーレート(%) ※基本的には国債の利子率を使います
β :この株式の市場全体の動きに対する感応度  
※要は、バブルの時何倍価格が上がったり、不況の時どれだけ価格が落ちるのか、もしくはどんな時でも安定しているのかを表す。
  この値が2であれば、日経平均が2倍に跳ね上がった時に4倍に価格が上がり、日経平均が半分になった時は4分の1になる。
  一方、この値が-1(マイナス1)であれば、不況で株式市場全体が落ち込んでいる時に逆に価格が上がり、好況で株式市場全体が
  値段が上がっている時にこの株だけ値段が落ちる。

Rm :株式市場全体の期待収益率(%) ※株式市場全体の収益率の平均値


ということで、これもなんだか式で書くと複雑に見えますが、中身は非常に単純です。


で、色々と公式に数字を当てはめていけば、最終的にこの中国IT企業のリスク(=割引率%)が計算できて、晴れて買収価格も決まるわけですが、最終的に「じゃあ、どの数字を当てはめる?」というところに結局"恣意"が働くわけです。「リスクフリーレートはどの国の国債の利子率使うべき?中国だから中国債?それとも日本からの投資だから日本国債?」、「市場への感応度を表すβはどこから計算する?世界全体の株式市場への感応度?それともやっぱり中国株式市場?香港株式市場?東京株式市場?」などなど、、、、



ということで、結局なんとなくそれっぽい公式はあるのですが、結局それに当てはめる数字の持ってき方が無数に存在して、結局そこは「買収したいなぁ」という企業側のお金の余裕具合だったり、経営者の中国ビジネス抱くロマンの大きさだったり、色々なアナログな要素が合わさって、決まるわけなのです。逆にもう直感的に「50億円なら買ってもいいかな!」という経営者の考えがあって、それに買収金額が合うように割引率をある程度逆算していくなんてことも実際には多いんじゃないでしょうか。



ということで、やっぱり左脳だけ使ってロジック(言葉と論理)だけでこの複雑な世の中を切り刻んで、たくさんの重要なことを捨象してシンプルに意思決定をするのは無理だなあというのが結論です。よく、「直感に頼り過ぎ」とか「商売勘に頼るな」とか批判されることがありますが、暗黙知化した直感も非常に重要だなぁというのをMBAで再確認した次第です。
親父の言動や頭皮、いでたちや頭皮、立ち居振る舞いや頭皮、そして服のセンスや頭皮、また風格や頭皮を見ていると、たぶん僕の頭は将来ハゲ散らかすわけだが、頭がハゲたからといって心までハゲるわけにはいかない。 



こんな弱音を吐くハゲにはなりたくない。 




『でも俺ハゲてるし……』 




とか 




『え?ハゲでも大丈夫なの?』 



とか 



『僕結局はただのハゲなんで……』 



とか 



『ハゲも大人料金ですか?』 



とか 



『え?俺ハゲだけど行っていいの?』 



とか 



『ハゲは追加料金取られる?』 



とか 



『ハゲは立ち見ですか?』 



とか 



『ハゲも優先席座っていいんですか?』 



とか 



『ハゲに似合う服をください』 



とか 



『よくハゲが買ってくのってどの商品になります?』 



とか 



『ハゲも特急乗っていいんでしたっけ?』 



とか 



挙げたらキリがないけれども、ハゲということを気にしすぎて日常生活がうまく回らないということがないようにしなければならない。 



ここで、今、まだ髪がフサフサある時に、ハゲてもこれだけは絶対に譲らないということをここに宣言しておきたいと思う。 



・ハゲても一番風呂に入ります 


・ハゲてもスタバでキャラメルマキアートを飲みます 


・暑い日はフラペチーノにも挑戦します 


・ハゲてもsuicaを駆使します 


・suicaで買い物もします 


・ハゲても一人称は『俺』でいきます 


・ハゲてもフサフサだった時の気持ちを忘れません 


・ハゲてもおかわり自由の店でちゃんとおかわりします 


・ハゲても試着してから服を買います 



さらに 



・ヅラは着けない。着けるにしてもカツラと一目瞭然でわかるものを着用する。 


少しでも恥ずかしがったら負けであるから。 


・カツラがずれても人前では決して直さない。 


もしずれたカツラを直しているのを人に見られたら『あの人ハゲを気にしてる上にカツラがずれてるのも気にしてるー!自意識かじょーじゃなーい?』と若いOLたちに噂されることは不可避だからである。 


・もしカツラが強風で飛ばされても決して追いかけない。 


飛ばされたカツラを追いかけるハゲほど見苦しいものはないからである。 


・夏の暑い日は人前でも潔くカツラを取って頭皮の汗を拭く。 


頭皮の汗はハゲの天敵だからである。 


・上司や得意先の人に挨拶する時はちゃんとカツラを取ってから『よろしくおねがいしゃーーす!!』と頭を下げる 


元高校球児のなごりである。 


・昼休みには会社の屋上でカツラをフリスビーにして遊ぶ。 


カツラを気にしていないことを同僚にアピールできる絶好のチャンス! 





以上、思いつくままに脱・心のハゲ宣言をいたしましたが、もし、僕がハゲ散らかしているにも関わらず、上記のことができていなかった時は叱ってください。よろしくお願いします。
またネタがないので過去のリバイバル。
過去の自分の発想に笑ってしまう。

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・一発一発打ち上げるたびに『今の花火を上げるお金で〇千本のワクチンをアフリカに送ることができます』というアナウンスが入る


・草野仁の腕力を利用して花火を空へドーン!!


・発射台の方から『あちっ!!』という声がよく聞こえてくる


・花火きれいだなぁというたびに木陰に隠れていた小柳ルミ子がディープキスしてくる


・花火師が動物のように火を怖がる


・花火師が花火点火のスイッチを押すたびに『ポチっとな!』って言ってて最初はよかったけど五回目くらいからだんだんうざい


・打ち上げ数二万発を売りにしているのに八割方が不発弾に終わる


・予算不足を解消するために火薬の代わりにペヤングのかやくを入れたらどうかという案を花火師たちが真剣に検討し始めてからもう40分が経過しようとしている


・婆ちゃんが『花火を見ると空襲を思い出す』と言って若干ブルーになっているのを見て横にいる僕たちもいまいちテンションが上がり切らない(実話)


・今までにない大きさの花火を作ろうと思って超特大の花火に火薬をたくさん詰め込んだら非核三原則に抵触してブッシュからクレームがきたけどそんなの知ったこっちゃない


・隣で花火見てるおっさんのワキガが目に余る

昨晩参加した飲み会の終盤で、一人の女性が週末ボランティア活動をしているということをもう一人の男性が「ボランティアなんて自慰行為だ!ちまちまやってもサステナブル(持続的)じゃない!弱者を今後生み出さないように仕組み自体を大きく変えられるような方向に自分の才能を使うべきだ!」という議論をしていて、自分が大学受験をした時に小論文の試験で同じような「倫理的ジレンマ」に関わる問題が出題されたのを思い出しました。



論文の問題文の大まかな設定はこんな感じでした。


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あなたは今、海水浴場の浜辺にいます。その日は近くでモーターボートレースが開催されていたので、ボートが起こす波で普段より一層波は高くなっていました。そのような状況の中、その海岸で突如高波が起こり、さらにその高波をモーターボートが助長した為に、1,000人が海で溺れてもがいています。あなたは水泳が得意なので、泳いで助けにいくことはできますが、もちろん一人で1,000人を助ける猶予はありません。この時あなたが取りうる行動指針は以下の四つ。


1.とにかく泳いでいって、一人ないしは数人を助ける。この場合、その他の大多数の命がどうなるかはなんとも言えない。

2.救命ロープを探すのにいくらかの時間を費やし、海に投げ入れる。この場合50人を助けることができるが、1.の方法で助かったであろう数人は溺れ死ぬ。残りの950人もどうなるかはわからない。

3.あなたは走って高波の原因となっていたモーターボートレースを止めにいく。これはロープを探す以上に時間がかかるが、950人を助けることができる。一方、2.のプランで助かるはずだった50人はこの間に溺れ死んでしまう。

4.元々高波の危険性が示唆されていたのに防波堤の建造を怠り、モーターボートレースの開催も禁止しなかった自治体に対して、政策の変更を要求することができる。自治体や抵抗勢力との折衝には時間を要し、この場合、今溺れている1,000人は死んでしまうが、将来再度起こるであろう高波事故の被害者を無くすことができる。

さて、あなたならこの倫理的ジレンマの中で、どう具体的に行動しますか?そして、あなたはなぜその行動指針を選択しますか?

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というものでした。マイケル=サンデルの白熱教室に似たような問題ですが、こういう問題は中々事故が起こっている最中には冷静に判断できませんから、冷静な頭の内に自分の行動指針をよく考えて備えておくのが良いと思います。さらに、このような人命にかかわる倫理的なジレンマに関わらず、ビジネスにおいての経営判断や、日常生活での例えば子育てに関する意思決定など、さまざまな「迷ってしまう」シチュエーションというのが人生にはつきものですから、自分なりの「思考パターン」や「軸」とか「倫理観、価値観」というものを予め作っておくに越したことはないと思うわけです。



冒頭のボランティアの問題についての自分なりの回答は、「草の根的にボランティア活動するもよし、政治家や官僚になって大きく仕組みを変えることに命を捧げてもよし」というところです。自分から言わせると、草の根ボランティアは自己満足の為の自慰行為かもしれませんが、仕組み作りも結局規模が大きくなっただけの自己満足の自慰行為に変わりないと思うわけです。



要は前者も後者も進みたい方向性とゴールは一緒だけど、手段が違うというだけなのかなぁと。徒歩で行くのか、車で行くのか。冒頭のボランティアの話は、つまり車で行こうとしている男が、徒歩の方が色々と景色も楽しめたり新たな発見もあるからいいんだと主張する女性に対して、「非効率だ。車で行こうぜ。」と言っているだけなんだろうと。これには正解がありませんから、車で行きたい人は車で行って、徒歩でゆっくり楽しみたい人は徒歩で行けばいいと思うわけです。真逆の方向に向かおうとしているわけではないわけですから、お互いが言い争うところではないのかなぁと。



大きな仕組みを変える行為は、地道なボランティア活動に比べると波及効果とか持続性という意味では大きなメリットをもたらしますが、その分多くの人を動かさねばなりませんし、時間がかかりますし、そもそも一人では何もできなかったりするのでしばしば歯車になってしまったりしますから、日々「自分が発揮している価値」を実感しずらいというデメリットがあるのかなぁと。



一方、ボランティア活動はもう目の前にいる社会的弱者に対して小さなことでも直接救いの手を差し伸べる行為ですから、日々「自分が発揮している価値や貢献度」を感じやすいといメリットがあるのかなと。一方、影響を及ぼせる範囲は限られていますから、波及効果や持続性という意味では上記の仕組み作りに費やす行為よりは劣後するわけです。



これはもう人間の好き嫌いの問題ですよね。赤が好きなのか青が好きなのか、米が好きなのか、パンが好きなのかに近いものがあります。お互いの好みを責められませんから。



最後に、上記の高波の倫理的ジレンマの問題の答えを記しておきたいと思いますが、10年以上前に考えたことと変わらず、「最大多数の最大幸福」を達成できるように、なるべく多くの人を助けられる方法を自分は取るのかなと思います。ボランティアの件で言えば、仕組み作り派の方かなぁと。どちらにしても最終目的は「自己満足」ですから、なるべくこの「自己満足=自分が生きている意味をより多く感じられる」という意味では、一人の人に「あなたがいてくれたお陰で助かりました」と言われるよりも、千人の人に同じお礼を言われる方がより強く自己満足を感じられるのかなぁと。



一方、先ほども書きましたが、「大きい仕組み作り」だけにフォーカスしてしまうと、ふと気づいたら歯車になってしまっていて、「あれ?俺何のために頑張ってるんだっけ?」と当初の目的を見失いがちになりますから、仕事では大きい仕組み作りに従事し、週末にはもっと地道な活動に精を出してバランスを取っていくのが一番良いのかなぁと思う次第です。
なんだか女性の社会進出がアベノミクスの目玉の一つになっているので、色々と議論がありますが、女性差別反対を訴え続けてきたフェミニストの感情論なども入り混じって議論が無茶苦茶になってる気がします。ちょっと原理主義的に整理してみたいと思います。



まず、仕事って、もししなくていいならなるべくしたくないし、まぁもししなきゃならないとしても成るべく楽に稼ぎたいっていうのが、人間の根源的な欲求ですよね?この根源を間違っちゃうと、その先に積みあがっていく議論が全部砂上の楼閣になってしまうので、、、、「100億円の貯金があるとしたら何しますか?」という質問に対して、世界の何人の人が「ハードに働きたいです!」と答えるでしょうか?もちろん、何人かはいるんでしょうが、非常に稀ですよね多分。



なので、なんだか田島陽子とか上野千鶴子などのフェミニストが「日本の会社には女性差別がある!女性ももっと働きたい!」とか被害者的意識で発言していることに対して、なんかしっくりこないわけです。「いや、働きたいならどうぞ。働くって別に権利っていうか、義務的な感じでやってるので。。」と思うわけです。「女性は(社会進出したいのに)家事を強制されて家に閉じ込められてきた!」とか昔田島陽子が言っていましたが、それをいうなら「男性も(家で子供とたわむれたいのに)家庭外での労働を強要されてきた」わけです。



「家事や育児よりも社会進出した方が世界が広がって楽しそう!」という迷信があるのかもしれませんが、自分の仕事が天職で趣味かのように働けてる人なんてほんの一握りだと思うわけです。みんなプロ野球選手になりたいとか、歌手になりたいとか、はたまたケーキ屋さんになりたいとか小さい時に夢に描くわけですが、能力の限界とか経済的理由とか、時には運とかで大体の人は夢破れて、まぁ生きてくためにはしょうがないから働くかぁという感じで自分の時間と労力を会社に売って、サラリーをもらっているわけです。



仕事を戦場に例えた方がもっと感覚的に理解できるでしょうか。「今まで男性だけ徴兵されて戦地に送り込まれてましたが、女性も志願するならどうぞどうぞ」というのが今の状況なんじゃないでしょうか。少子化と高齢化で国家総動員が必要な事態なのでむしろ一緒に戦ってくれるならお願いしたいくらいですというところかと。ただ、「働くと決めて戦地にいったからには、ぶーぶー文句言わないでね。士気下がるから。」ということなんですよね。



で、今何にコンフリクトがあるかというと、戦場の例で言えば、今まで男子兵しかいなかったので、生理休暇を取る制度とか、戦ってる間に子供を預ける施設とか全くないわけです。「え?そんなの想定してないからないよ?でもそれ覚悟で入隊したんだよね?」という感じなわけです。という状況なので、フェミニストが「性差別だ!」などと憤るわけですが、でも軍隊の方からすると、「戦争に勝つ」のが最終目的ですから、そういう女性隊員に対して生理休暇制度を認めたり、ミサイルを買うはずだったお金を使って保育所を戦地に作った方が戦争に勝つ確率が高くなる!と判断すればそうするでしょうが、そうでなければ「いや、基本的には今までの男子兵だけの制度を維持した方が勝てる可能性が高いので、それでもよければ女性志願兵も受け付けます」という程度なわけです。



これが会社となると、なんだか目的がブレがちなんですが、結局会社にとっての最終目的も「競争に勝つ=利益を最大化する」であって慈善団体ではないですから、その利益最大化の目的に沿うならば女性用に敢えて特別の制度や施設を作るでしょうし、コストの方が高いと思えば制度や施設はそのままにしておくでしょう。要は資本主義の競争原理に従っている限り、「女性を雇うための種々の制度変更によるコスト増<<<女性を雇うことによる利益増」なのであれば経済合理性に従って、勝手に会社は女性向けに会社を変えていくわけです。



今社会がねじれているのは、日本政府としては「日本国家全体として少子高齢化なので女性を戦力化しなければ日本の競争力を保てない」という課題認識がある一方、個々の企業を見ていくと日本政府が考えているほどには足元では女性の労働力を欲していないわけです。日本政府の目線が「日本は100年後にも存在する」という前提の下に“超長期”なのに対して、企業は来年会社があるかどうかも分からない“超短期”の勝負をしているわけですから。



もちろん、日本政府は個々の会社が短期の目線で判断したら合成の誤謬が起きて、日本全体として沈没するようなことは避けなければなりませんから、上から無理やりでも「女性の社会進出を強力に進める!」というのを押し付けるのは分かりますが、やり方がめちゃ中途半端なわけです。先ほどの軍隊の例で言うと、「女性の徴兵も始めるけど、制度や施設を変更するかどうかは個々の軍隊に任せます」的な。そうするとそりゃコンフリクトおきますよ。



なので、政府は各企業が短期目線においても「女性を雇った方が経済的に合理的である」という意思決定ができるように、補助金を出すとか、減税するとか、お金で釣らないといけないわけです。企業は資本主義のルールに則ってますから、Non Profitであり長期視点である政府の考えを資本主義の競争原理の中で短期目線で動いている企業にインストールするにはそのルールに変換しないと機能しないのです。



もしくは法改正して企業が雇わざるをえなくしてしまうというのも一つの方法です。そうすれば経済合理性関係なく、企業は女性向けの制度や施設を整えねばなりませんから。



ということで、なんだか今のアベノミクスのブームにのって、変なサギっぽいフェミニストとかアホな評論家が色々的外れなこといったり、ここぞとばかりに感情論に訴えかけてみたり、はたまた営利企業に対して慈善団体かの如くお門違いな要求や不満をぶちまけているのを読んで腹が立ってきたので長々と書いてしまいましたが、今日はここまで。
スタバでもレストランでもスーパーでもいいんですが、アメリカもヨーロッパも店員グダグダし過ぎなんですよ。むっちゃ列できてるのに急ぐ気配がなく、のんきに客とかバイト仲間とかとくっちゃべってるわけです。千原せいじか木村祐一だったら確実にブチ切れて怒鳴り倒してますよ。普段温厚な自分も怒鳴り倒したいくらいですが、恐らく何をどう言っても現地に根付いたこのカルチャーは変わるわけもなく、ただただ泣き寝入りするわけなんです。



日本のサービスレベルって高い高いとは言われてますが、外国で生活してみると本当に身に染みて感じますよね。日本のサービスに慣れてしまうと本当に外国のサービスに腹が立ってしょうがないです。物事が非常に効率的に、お客さんを待たすことなく進むというのは日本の競争力に大きく貢献していると実感するわけです。日本と同様のサービスレベルを持っているのがドイツだと思いますが、やはり日本と同様、高品質で競争力のある製品をドイツも作っているわけです。



さらに日本人はニートとか出てきてますが、やはり世界レベルで見ると未だに勤勉ですよね。英会話で一緒のクラスの博士課程のトルコ人の話にびっくり仰天したのですが、彼女のルームメイトが同じく博士課程の日本人の女性だそうで、「彼女は一日に6時間しか寝ないのよ!トルコだったらもう彼女は教授になってるわ!」などと言っていました。トルコ人はどれくらい寝るの?と聞くと、「平均10時間かなぁ。8時間しか寝れなかった日はもう一日眠くてしょうがないわ」と言っていました。。。(というか、今まで出会ったトルコ人が4分の4でエキセントリック過ぎるんですが、この話はまた今度)



日本人がトルコ人より一日平均4時間長く起きて、その分働いているとすると、4時間×人口×365日なわけで、一年間ではもの凄い国力の差になるわけです。そらすごいわ日本。



ある外資系金融機関の著名なアナリストが東京で雪が降った日に下記のようなつぶやきをしていましたが、非常に納得感あります。

こんなに雪が降っても電気水道止まらないし、電車もちょっとダイヤ乱れる程度で、財務省の人も3連休無視で普通に出勤して補正予算の国債発行計画を明日ばっちり出してくるんだろうし、そんなまじめな国の債券はデフォルトなんてしない


この文化はなんとしても保っていきたいですね。外国人からすると「日本人ってなんでそんなに働くの?」という感じだと思いますが、「今サボると今は楽しいけど、後々もっと大きい悲劇が襲ってくるからね」と、アリとキリギリスのアリ的な発言を返したいと思います。
昨日の英会話でクラスメイトのエチオピア人が母国についてプレゼンしてくれたので、学んだことを書いておきたいと思います。ちなみに、今ボツワナ人とルームシェアしていますが、基本的にアフリカ人いい奴ですね。そもそもアフリカからアメリカに留学できる層というのは相当な上流階級かつ高等教育を受けていると思いますので、この二人のサンプルだけで全ては語れませんが。。(行動経済学の授業でこの「少ないサンプル」で「みんなそう!」と判断してしまうバイアスに人は陥りやすいというのを学んだばかりです。)



まず驚いたのが、エチオピアでは今年(2014年)が2007年だそうです。何その微妙な差!!なので、アメリカに来て誕生日を聞かれた時困ったとのこと。エチオピア歴でいうと7歳年をとってしまいますから。さらに困ったことに、1年13か月あって、12月までは一律30日までらしいのですが、それだと360日までしかないので、13月は5日まで(うるう年は6日まで)足したそうです。ということで、生年のみならず、月日までも変換が難しいらしいです。(ちなみに、もうアメリカ歴での生年月日は覚えたから大丈夫と言っていました。)



次に驚いたのが、エチオピアの伝統的な歌というのをYoutubeで見せてくれたのですが、完全に演歌なんですね。こぶしの回し方とか、旋律とか、全て。こんなに離れた国で文化も肌の色も違うのに、“聞き心地のいい歌”というのは万国共通にあるもんだなぁと驚いた次第です。みんな同じ人間なんだなと。



あとは、「エチオピアはアフリカの中で唯一ヨーロッパの植民地になったことのない国」と誇らしげにいっていたのが印象的でした。というのも、ルームメイトのボツワナ人も「ボツワナは厳密には植民地にはなってない」と言っていたのを思い出したからです。アフリカの人にとってはやはり植民地時代の話というのは国のプライドに関わる話なので、気を付けて話さねばならないなと思った次第です。まぁこれは日本と中国、韓国、台湾の間でも同じような問題や心理的な壁がありますから想像に難くないですが。



少し気になってエチオピアについてネットでざっと調べてみると、確かに一度イタリアのムッソリーニに占領された以外は基本的には独立を守っていたようですね。で、「なぜエチオピアだけ独立を守れたのでしょうか?」という質問に対するネット上の答えは、エチオピアは位置的に東端にあり、(飛行機がない時代かつスエズ運河がまだ開通していない時代)ヨーロッパから攻めようとすると地中海を出て、ずーっとアフリカ大陸を左目に見ながら南下して、喜望峰を回って今度はずーっと北上しないとエチオピアに辿り着かないので、攻められなかったとのことでした。信憑性はわかりませんが、確かに納得感のある答えです。



先日ボツワナ人ともランチの時間にアフリカについて色々話したのですが、今難民がヨーロッパにいったり、またアフリカ内の裕福な国に流れ込んだり大変らしいのですが、そう考えると日本が島国で海に囲まれている地の利というのはものすごいなと思った次第です。ある意味めちゃめちゃ深くて広いお堀に囲まれた城みたいなものですからね。移民も難民も陸路では来れませんから、もちろん飛行機なんて乗れませんし、乗れるとしたらオンボロのちっちゃい漁船くらいでしょうから、警備は比較的容易なわけです。この日本の地の利は、メキシコからの不法移民に悩むアメリカを見ても明らかですね。



ということで、MBAというとかなりバックグラウンドが偏っていますが、英会話のクラスは研究者もいたり、留学生の奥さんもいたり、前に書いたイタリア人のカウンセラーのおばちゃんとか、色々なので、結構面白いです。また適宜学んだことを書いていきたいと思います。