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ここの所、ディズニーは『アリス・イン・ワンダーランド』『オズ/はじまりの戦い』『マレフィセント』など、魔改造お伽話の量産に必死になっていた。それが『ウィキッド』の影響である事は、以前『マレフィセント』の感想でも触れた。
しかし、まさか『イントゥ・ザ・ウッズ』をそのままディズニーがやるなんて、誰が想像したであろうか?
『イントゥ・ザ・ウッズ』は、1987年に初演された、ブロードウェイ・ミュージカルである。作詞・作曲はあの『スウィーニー・トッド』を産み出した、スティーヴン・ソンドハイムだ。このミュージカルは、当時のディズニーに対してアンチテーゼを投げかけた作品である。お伽話の暗喩や教訓をカットして、ハッピーエンドな作品ばかりを作るディズニーに対し、お伽話の本来の姿をブラック・ユーモアを交えて問いかけた問題作なのだ。
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ディズニーは、このアンチ・ディズニー・ミュージカルを、ほぼオリジナルのまま映画化している。そして、監督には舞台出身のミュージカル映画に定評のある『シカゴ』のロブ・マーシャルを起用。更にオリジナル脚本を手掛けたジェームズ・ラパインと、ソンドハイムらも巻き込んで、コレ以上ない程の手堅い布陣で望んでいる事に驚いた。この布陣なら、いくら投資家たちが口出ししようとブレる事はない。版権元が直接スタッフにいれば、魔改造はできないのだ。
舞台版も実に良く出来ていて、ダイナミックな舞台転換装置は必要とせず、基本的には森のセットで、一部セットの入れ替えだけで成立する。
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その為映画では、場面のほとんどが森なので、全体が地味に見えてしまう。スペクタクルがないので、ディズニーらしくないとの批判が出るのも納得できる。だが、このブラック・ユーモア溢れる作品を語るのに相応しい、見事な美術だったと評価したい。
『赤ずきん』『ジャックと豆の木』『ラプンツェル』『シンデレラ』の4つのお伽話が複雑に交錯し、誰もが知っている結末の、その後を描いている。
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『赤ずきん』では、原作の持つ教訓がしっかりと描かれ、無垢な少女が、キケンな男の魅力に囚われて、遂には襲われてしてしまう暗喩を、オオカミを擬人化する事で、明確に描かれている。「キケンな香りは魅力的だけど、言い付けは守らないと、食べられちゃうぞ♡」という教訓を、直接赤ずきんに歌わせているのも説得力があって良い。
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『ジャックと豆の木』で表しているのは童貞の卒業だ。ジャックは、太くて大きくそそり立った豆の木を登り詰め、天空の家で年上の裕福な(=大きな)女性に出会い、気性の荒い亭主に隠れて仲良くなって、小遣いまで貰うのだ。降りて来たジャックが興奮ぎみに「人生が変わった!」と語る歌は、完全に “初めての味” を知った少年のソレである。まぁ、当然彼は、しばらくそこに通う事になる。
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義姉たちが足を切って靴のサイズに合わせるシーンが出てくる。また、義姉たちな、鳥たちに眼を潰される復讐を受ける所も描いており、これまた原作の持つ残酷な因果応報を包み隠さず描いている。
それぞれ原作が持つ “ディズニーが描かなかった” 大切なメッセージや暗喩を魅力的に描いた上で、各主人公たちのその後を描いているのが、この作品の魅力である。
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赤ずきんは、“経験” によってどう成長したのか?
気性の荒い亭主を殺された巨人の女性は、その後どうしたのか?
舞踏会で踊っただけの女性を娶るチャーミングを振りまく王子は、本当にシンデレラを幸せに出来たのか?ラプンツェルは幸せになれたのか?
それらを見事にひとつのストーリーに乗せ、舞台的に表現している。
この話はそういう部分を、是非見て頂きたい。最近、うんざりして来たディズニー作品のジョニー・デップも、早々に退場させられるのが潔い。ディズニーで、ディズニーのスキームを一切無視してオリジナルに忠実に作ったのは、よくやった!と、褒めてあげたい。ディズニーには大人用のレーベル、タッチストーン・ピクチャーズがあるのに、子供向きとされて来たディズニー・ピクチャーズでコレをやってくれたのだ。ディズニーが変わろうとしている兆しだと思いたい。
で、なぜこう言う部分を強く押し、メリル・ストリープや2人のイケメン王子の話を出さないかと言うと、ほっといても、メリル・ストリープと、イケメン王子2人のワルノリ競演特別シーンが、全部持って行ってしまうからだ。
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そういう部分が目立っているから、この映画の本質を見失いそうになるのだが、そういうサービスシーンにうつつを抜かさず、お伽話の本質をしっかりと見て欲しいと思う。
この映画の残念な部分は、巨人の女性がオバサンである事だ。舞台版では、当然顔を見せないのだが、映画ではそうはいかなかったのだろう。しかし、アレはない。ここは、美魔女な女優さんを起用して見せて欲しかった。そうでなければ、ジャックくんの “初めて” が、余りにアレ過ぎて、悲しくなってしまう…( : ω ; )
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ま、美魔女出すのは、別の魔女が、許してくれないのだろうけど…。