六歌仙の覚え方!? | 星の小屋日記帳

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庭先に置いたキャンピングカーを「星の小屋」と名付けて憧れの小屋暮らしをしています。
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昨日の記事に書いた通りヘロヘロになりながらも記事を上げますが、今日の投稿は「六歌仙の覚え方」(突然に前触れも無く、何じゃそりゃ❓)


百人一首なんかを読んだり、カルタ取りをやったりするとよく出てくるじゃないですかもやもや


「この人は六歌仙!」とか「あぁ、この人は六歌仙じゃないけれど三十六歌仙の方には入っている❗️」とかとかニヤリ


で、先日、祇園祭について書いたときに、日本で最初に和歌を詠んだとされるのは素戔嗚尊(スサノオノミコト)だと『古今和歌集』の仮名序に紀貫之が書いていると知ったかの様なことを書きましたが、



その仮名序では貫行は柿本人麿を「歌聖」として紹介し、同じく万葉集に多くの歌が載った山部赤人もそれに並び立つ歌人だ(=歌聖)と紹介しており、その後に特に貫行が評価した柿本人麿、山部赤人に続く6人の歌人が紹介されています。





大友黒主、喜撰法師、僧正遍照、

小野小町、在原業平、文屋康秀    



紀貫之が仮名序の中で彼らを「六歌仙」と呼んだ訳ではないけれど、特にこの6人の詠い振りを評して紹介をしたことから、後の人々がこの6人のことを「六歌仙」と呼ぶ様になったらしいですよ^_^


で、言ってみろ!と言われても答えられない、(受験勉強ではないけれど)この6人の覚え方をネットで探って学習してみました


だって僕が六歌仙で思いついたのは在原業平だけでしたから💦👅


小野小町は今も色々と話の引き合いに出される「美女」だし、地方に行くと繁華街の路地には『◯◯銀座』とか『◯◯小町』と言う名が付けられたりしている。

百人一首で採り上げられた歌(「花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに」)は覚えていたけれど、そんなに歌作りの上手さを評価されていた人だったのかとチョと驚いた目

美女ではなく歌人として認識してなきゃいけなかったのね💦👅



閑話休題、ネットに出ていた「六歌仙の覚え方」だけどこんなのがあったニヤリ


「おお友よ 喜びそうで困っちゃう 蟻のフンにも六歌仙」


大友黒主 (おおとものくろぬし)   

撰法師 (きせんほうし)

正遍照 (そうじょうへんじょう)

小野小町 (おののこまち)

原業平 (ありわらのなりひら)

屋康秀 (ふんやのやすひで)   



以後予算かかる鉄砲伝来」(西暦1543年)

の様な有名且つ秀逸な語呂合わせにはお呼びもつかないかなりの無理筋と感じたが、


「大友よ、喜び〜」と言う出だしは、かの楽聖ベートーヴェンがシラーの詩に共感しそれにメロディーをつけたと言う彼の交響曲第九番第四楽章でオケの2回目のプレストの乱奏直後にバリトン歌手がすっくと立ち上がり「おぉ友よ、この様なメロディではなく」と宣った後、所謂「喜びの歌」の一節を独唱し始めるのを彷彿とさせ、なかなか面白いと思った^_^


で、6人は知ったが、最初の大友黒主と最後の文屋康秀については、その代表作も頭に浮かんで来ないし、入試でそのフルネームを書けと出題されたら、この語呂合わせで名字は書けるだろうが名前の黒主とか康秀なんかはもう暗記するしかない(><)


それにしても最後に「蟻のフンにも」と言われた二人はかわいそ過ぎね⁉️



ところでこの6人を評した紀貫之自身は三十六歌仙の一人なんだと


三十六歌仙は平安中期に『和漢朗詠集』の選者にもなった藤原公任が著した『三十六人選』に載った歌人達のことだと。


三十六歌仙に踏み込むのはこの記事の本意ではないので面倒臭い話は避けますが、この三十六歌仙中で唯一思いついた歌人とその歌を紹介するとそれは女性で情熱的な恋歌を詠んだ『伊勢』と言う歌人^_^

百人一首にも登場し「坊主めくり」の遊びではお姫様の一人として強い札となるお方💕

その歌は

「難波潟 みじかき葦のふしのまも あはでこの世をすぐしてよとは」


聞いたことありますよね〜。この伊勢はその恋歌のイメージに違わぬ相当な美女であったらしいのですが、敦慶親王との間に出来た娘「中務」(なかつかさ」も歌人として有名で、親子して三十六歌仙に選じられたといいますからまるで大江山の歌を詠んだ小式部内侍とその母和泉式部の様な歌の才を持つ親子だったのですね驚き昇天




星の小屋にてキラキラ