こんにちは
来年はいよいよ20年に一度の伊勢神宮式年遷宮の年です。
そんなこともあり、ころすけを買った3年前、一連の遷宮行事が始まっている伊勢神宮を初めて訪れました。また翌年の晩秋には遅い夏休み(?)で、これも行ってみたかった古代史巡りの為、奈良へ6泊7日の旅をしてきました。
その時を思い出して、神話と邪馬台国について、普段思っていることを混ぜながらお話したいと思います。
(かなり、長いです。歴史のウンチクとか苦手な方はゴメンナサイ)
伊勢を訪れたのは2009年の9月。珍しく秋に5連休となる年でした。
内宮近くの広大な駐車場で車中泊をして、外宮⇒内宮とお参りしてきました。
内宮参拝の途中、有名なおかげ横町でお約束の赤福と伊勢うどんを満喫。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190804/08/mazurka0843/c4/da/j/o1024076814521834369.jpg?caw=800)
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190804/08/mazurka0843/10/67/j/o1024076814521834374.jpg?caw=800)
鳥居をくぐると正殿まではとても長い玉砂利の参道を杉の巨木が囲み、やはりここは、何かを持ってる、じゃないですが、「神」の存在を感じてしまう
荘厳とした空気が支配しているところでした。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190804/08/mazurka0843/b4/ce/j/o1024076814521834377.jpg?caw=800)
内宮に祭られているのは、ご存知、天照大神で皇室の祖先神とされていますが、三種の神器の一つである八咫鏡(やたのかがみ)とともに、何故、当時の都である奈良・京都から離れた伊勢の地に祭られているかは、ちょっとした謎の様になっていたりもします。
【以下、次に続く奈良の旅の前に、ちょっとだけウンチクを】
今に伝えられる記紀、すなわち古事記・日本書紀ですが、教科書で習ったことは、大化の改新・壬申の乱を経て天武天皇とその后である持統天皇の世に編纂されたとされ、それまで各豪族に伝えられてきた言い伝えの記録は葬られてしまったとも言われています。
そんなことから、実は日本の歴史の真実は!などという本や説などが沢山出され、中には荒唐無稽なものもあって、ある意味興味深い研究?の題材になっていたりします。
それはともかく、ご存知の記紀の神代の話は、主に高天原系の話と出雲系の話の二つに分けられます。天照大神の弟が有名な素戔男尊(スサノオノミコト)で、関東地方では大宮の氷川神社の主祭神となっていますが、このスサノオが高天原で乱暴を働きアマテラスが天岩戸に閉じこもったり(皆既日食のことだという説もあります)して、スサノオは高天原から追放されてしまいます。行った先が出雲の国ということになるわけですが、この出雲の話と高天原の話は、もともとは全く別の神話(言い伝え)であったらしく、記紀の中ではうまくかみ合わずに矛盾をはらんでいたりします。
せっかく高天原から天孫(アマテラスの子孫)を地上に派遣するために、出雲の国譲りの神話にあるような大戦争までして、出雲の国を手に入れたのに、実際には天孫邇邇芸命(ニニギノミコト)は日向(宮崎県ですよね)の高千穂の峰に降臨しちゃうんですよね。 (これが所謂 「天孫降臨」)
この記紀のつじつまのあわないところ、そして高天原、出雲という二つの勢力が存在していたということから、大和の国は天照大神の時代から万世一系の天皇というのではなく、どうやら出雲神話に代表される対抗勢力と複雑に絡んだ歴史を引きずってきているようです。
そういった前提の中で、もう十数年前に興味深く読んだのがこの本です。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190804/08/mazurka0843/7d/da/j/o1024068014521834382.jpg?caw=800)
学研M文庫です
その昔、同じ著者が別な文庫本として「神社が語る日本の歴史」だったかのようなタイトルで一度出版されていたものです(それも買いましたが、なくしてしまって探したのがこれ)
ご一読頂くと、荒唐無稽の一言で笑い飛ばされてしまうかもしれませんが、
私の様なものは、もう最高のお楽しみの時間を過ごすことができました。
この本を超乱暴に要約すると次の通りです
・日本の真の歴史は記紀にはなく、先代旧事本紀という物部系の
神話に伝えられている。
・その昔、日本で最大の勢力を持っていたのは出雲のスサノオノミコト。
西の九州まで勢力を広げ、九州の主であったイザナギ・イザナミの娘
アマテラスを現地妻にした。
・一方スサノオの息子の邇藝速日命(ニギハヤヒノミコト)は九州遠征の
後、大和地方の統治を任された。これが日本最古の神社といわれる
大和の大神神社(おおみわじんじゃ)の祭神である大物主の神。
大物主は現代では出雲の大国主命の別名といわれるが、それは誤り。
・その後九州でスサノオの現地妻であったアマテラスの一族の勢力が増
して来て大和との間に争いが生じたが、平和裏にこれを治めるため
和平の象徴としてアマテラスの子孫であるイワレヒコノミコトを大王
ニギハヤヒの娘婿として大和の国に迎え入れた。イワレヒコとは
後の神武天皇であり、これが記紀に伝わる神武天皇の東征の真実で
あるとのお話。
あ~ つかれました
【以降、そんな歴史(妄想?)の地を辿ってみたく、訪れたのが、翌年11月の奈良旅行です】
①夜間出発し翌日の午後3時に樫原考古学研究所の博物館に到着。
②翌日は一日中、石舞台古墳などを中心に明日香の地をサイクリング。
③3日目は唐招提寺・薬師寺の後、法隆寺へ
④4日目はニギハヤヒ伝説の舞台である矢田坐久志玉比古神社(やたに いますくしたまひこじんじゃ)を探し出し、その後天理の石上神宮から日
本最古の道といわれる山の辺の道をカミさんと二人で半日かけて歩き、 先ほどの本の話に出てきた三輪山の麓にある大神神社(おおみわじん
じゃ)へ。夕方は卑弥呼の墓ではないかとして一気に関心が高まってい
る箸墓古墳と邪馬台国の跡地ではとの説でこれも急速に関心が高まっ た纏向遺跡(まきむくいせき)へ。
⑤5日目は大仏、春日大社、興福寺(阿修羅像見ました!)、復元された
朱雀門、大極殿の奈良定番コース。
⑥六日目は大和三山、藤原京跡を見学の後、一気に高速へ。途中諏訪湖 S.A.で温泉&車中泊。7日目の午前中に帰宅しました。
ここで特に紹介したいのが、上記④の一日(緑色の部分)です。
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