【4月10日(土)】

十万寺城を攻める前にTさんに誘われて登城してきました。 

鳥取県HPとりネットの記事によると、織田VS毛利の戦いの中で織田方に付いた羽衣石城の南条氏を攻めるため天正8年に吉川元春が進軍してきています。

大きな曲輪、堀切、畝状竪堀群という構造からすると戦国時代後期と考えられ、東向きの畝状竪堀、緊張状態の当事者、軍事力を考えると、毛利方の吉川軍が構築した可能性が高いように思われるとあります。

また、天正12年には南条方が入る妙見山を毛利方が受け取ったとの文献もあることからさらに検討する余地があるとのことです。

※縄張図については城郭放浪記さんのHP 参照してくださいませ。 https://www.hb.pei.jp/shiro/houki/ohsugi-myokenyama-jyo/ 

所在 鳥取県東伯郡琴浦町大杉

 

①遠景

②登っていくと畝状竪堀群が見えて来ます。

③登城路は竪堀のひとつを利用。

④まずは北東へ延びる尾根筋へ。

⑤主郭切岸と土塁囲みのⅡ郭、堀切

⑥Ⅱ郭とⅢ郭の間の堀切

⑦Ⅲ郭は南側に土塁を要する細長い曲輪

⑧Ⅲ郭北東側の堀切

⑨尾根北東側先端の出城(旧城?)の土橋を伴う堀切

⑩出城中央を分断する堀切

⑪出城北東端の曲輪

⑫本城へ戻り、Ⅱ郭とⅠ郭の間の堀切

⑬Ⅰ郭へ向かう途中から見下ろす畝状竪堀群

⑭Ⅰ郭

⑮Ⅰ郭から南側の堀切を見下ろす。

⑯Ⅰ郭西側の堀切

⑰1郭南側の堀切 さらに南側に二条の堀切があり三重堀切となっている。

⑱1郭南側の堀切から落ちる竪堀とそれに連なる畝状竪堀

 

「活動記録」