【3月7日(土)】

「後谷(ごや)城」は、13世紀初頭から16世紀後半まで、赤井氏の本拠であった城館跡です。
白山東麓の白山神社付近に赤井氏及びその家臣団の居館跡と見られる遺構が残ります。
特に明白なのが、神社東側の空堀とその北東側に残る土塁と空堀です。
丹波の赤鬼・荻野(赤井)直正もここで生まれたそうです
荻野直正は散々明智光秀を苦しめましたが、天正6年(1578)に病死、その翌年、明智軍の猛攻により後屋城をはじめ赤井・荻野氏の城郭は落城、最後に黒井城も落ち、明智光秀による丹波平定が為されました。
①後谷城跡には、白山神社が鎮座。

②参道から土段が見える。

③白山神社社殿手前に残る空堀。

④白山神社社殿

⑤白山神社北東部に残る土塁と空堀。


所在 兵庫県丹波市氷上町新郷

 

「新郷砦南曲輪群」は、赤井氏の本拠後谷城の出城のひとつと考えられますが、詳細は不明です。
後谷城の北東600mほどの距離の新郷集落西側の小山の山頂に主郭があり、現在、愛宕社が祀られています。

そこから北側へ削平の甘い小さな曲輪が3段ほどありますが、切岸も低く、その他には防御施設もありませんので、見張り台程度の砦跡でしょうか?

①低山の山頂に向かい、段々の曲輪が続く。

②このような小さな曲輪と低い切岸。

③主郭、愛宕社が鎮座。

④木が茂っているので、本来の展望は望めない。

⑤曲輪群を上から見る。


所在 兵庫県丹波市氷上町7新郷