【3月3日(日)】
周山城の後、京都駅前で飲み会があったので、京都に宿を取っておりました。
なので、翌日曜日は、山科と大津へ。
まずは、山科本願寺と蓮如上人関連の史跡めぐりです。
京都市営地下鉄東野駅下車で、後は徒歩で巡りました。
まずは、本願寺山科別院(浄土真宗本願寺派 京都市山科区東野狐藪町)。
山科本願寺は、天文元年(1532)8月六角定頼等に攻
現在の本堂は、安永3年(1774)に
続いて、蓮如上人廟所(京都市山科区西野大手先町)へ。
さらに、山科本願寺の土塁跡。
文明10年(1478)「蓮如」により山科に再建された本願寺は南北1km東西0.8kmにおよび、堂宇が立ち並ぶ「御本寺」、一家中、僧侶、寺に関係する職人、商人が居住する「内寺内」「外寺内」の3つの曲輪で構成され、周囲は土塁と堀が巡る環濠城塞都市であったと説明板にあります。
現在は数箇所に土塁の一部が残るのみとなっています。
まずは、山科中央公園にある①内寺内北東角の土塁跡へ。
角なので土塁が屈曲しています。
さらに、②御本寺北西角の土塁へ。
ここは中へ入れなくなっています。(私有地?)
そして③御本寺西側の土塁。
こちら今にも壊されてしまいそう...
北西角の土塁跡から少し北西側へ行ったところに、蓮如上人往生地の石碑がある放鶯山西宗寺(浄土真宗本願寺派 京都市山科区西野広見町)があります。
ちょっと中へは入り難い...^_^;
ここからは南方へそこそこ歩きます。
④御本寺南西角へ。
こちら、石碑と説明板があるのみなので、一度見逃して行き過ぎてしまいました^_^;
1997~98年に調査された御本寺南西角では土塁の暗渠、堀、井戸跡、建物跡などが検出され、また、天文元年(1532)に細川晴元率いる法華宗徒、近江守護六角氏の連合軍に焼討ちにされた際の建物が焼土や炭で埋まり、強い火を受けた痕跡のある土器や瓦が多く検出されたそうです。
ここから山科本願寺跡の石碑を通過して、南殿跡へ向います。
石碑は、国道1号線沿いのトヨタディーラー入口隅にあります。
そして、山科本願寺関連最後は、
南殿旧跡光照寺・山科本願寺南殿跡
山号 泉水山
宗派 真宗大谷派
所在 京都市山科区音羽伊勢宿町
蓮如上人の隠居地である南殿は、天文元年(1532)8
その跡地に建てられたのが南殿光照寺。
南殿の土塁が残っており国の史跡指定がされています。
山科は、いったんここまで...
大津へ続く。