【3月2日(土)】

大山﨑町歴史資料館館長・福島克彦先生の案内で、明智光秀が天正7年~9年にかけて築いた周山城(標高約480m/比高は登城口からだと約220m)へ登城してきました。ここは2年3ヶ月ぶりです。
まずは、登城口から主郭、西曲輪群まで。
昨年の台風の影響からか、登城道ほか倒木多数、一部土塁も壊れてしまっていました。

西曲輪群から2つの堀切を越えて、西の城へ。

こちらは土の城で、曲輪内部の削平もやや甘いですが、南側および北側の虎口が両方とも外枡形となっており、織豊系の城と考えられます。
よって、周山城と同時期に石垣の城と土の城が造られたと考えられますが、周山城自体、何故ここに最先端の石垣の城が造られたのが謎であることとともに、西の城が何のために、ここに造られたかのか謎となっています。