【5月19日(土)】
JR宝殿駅から、てくてくと米田の町を散歩♪
まずは「米田天神社」へ。
宮本伊織(武蔵の養子)が撰文を記した「泊神社棟札」に「然れば、木村・加古川・西宿村・船本村・西河原村・友澤村・稻屋村・古新村・上新村・米堕・内又今在家村・小畠村・奥野村・北河原村・中嶋・鹽市・今市、総じて十七邑の氏神、泊大明神と號し奉れり。故老の傳へ云ふ所、紀伊日前神を勧請し奉る也。而して、米堕、又別に菅神を崇れり)。近歳、二社共に殆ど頽朽す。余、一族と深く之を嗟く。故に、一に君主の家運榮久を奉祈し、一に父祖世々の先志を慰まむと欲す)。而れば謹みて告ぐ。家兄・田原吉久、舎弟・小原玄昌、及び田原正久等、匠事を幹せしめて、今已に新二社を得たり」とあり、泊神社および米田天神社の社殿が宮本伊織およびその一族により再建されたことがわかります。
所在 兵庫県高砂市米田町米田
祭神 菅原道真(兵庫県神社庁HPより)
※高砂市・同観光協会の案内板と相違。泊神社棟札にも「米堕、又別に菅神を崇れり」とあるので、菅公が祀られているのが正解だと思いますが... 牛さんも居ますし^_^;
続いて、米田天神社南側の公園横にある「宮本武蔵・伊織生誕地碑」です。
宮本武蔵・伊織顕彰会により平成2年に建立されたもので、碑題は、細川護貞氏の筆、そして竜山石が用いられています。
「泊神社棟札」等により、宮本伊織が米田出身であることはほぼ間違いないですが、武蔵については、一次資料では生国が播磨(五輪書・小倉碑文)としかわかっていません。また、二次資料の中では信憑性が高いとされる「播磨鑑」では、出身が「宮本武蔵 揖東郡鵤ノ邊、宮本村ノ産也」となっていますので、出身米田説は?です。
※美作生誕説よりはましであるにしても...(大原の方、すいません)
さらに近くの「西光寺」へ。
所在 兵庫県高砂市米田町米田
山号 來迎山
宗派 浄土宗西山禅林寺派
本尊 阿弥陀如来
境内に宮本武蔵・伊織像があります。
ちなみに、本堂の前の庭は、五輪の庭と言うそうで...
西光寺からは、ちょっと長く歩きます。
辿り着いたのは「日本三奇・石乃寶殿」のある「生石(おうしこ)神社」
平成26年10月6日「石の宝殿及び竜山石採石遺跡」として国史跡に指定されました。
所在地 兵庫県高砂市阿弥陀町生石
主祭神 大穴牟遅命、少毘古那命
社格等 旧県社
生石神社からさらに歩き、
「観濤處(かんとうしょ)」
播磨灘を眺望する加茂山の中腹にある巨岩に「観濤處」の文字を刻んだ碑石で、永根文峰が書いたものを当時の姫路藩家老、河合寸翁が刻ませ、天保7年(1836)に完成したもの。(高砂市HPより)
「観濤處」の上からは高砂の町が一望できます。
及び麓の「加茂神社」へ。
主祭神 賀茂建角身命
配祀神 玉依姫命
通称 加茂御祖神社
所在 兵庫県高砂市竜山1丁目
そして高砂と言えば、"尉と姥"
あちこちにあります。
JR宝殿駅へ戻り、JR加古川駅へ電車移動。
まずは大銀杏で有名な「称名寺」へ。
所在 兵庫県加古川市加古川町本町
山号 佛頂山
宗派 高野山真言宗
本尊 阿弥陀如来
称名寺は、三木合戦の発端となった加古川評定が行われた糟屋氏の加古川城跡地に建っています。
そして最後は「泊神社」へ。
所在地 加古川市加古川町木村
主祭神 天照皇大神
配祀神 国懸大神、少彦名命
社格等 郷社
米田天神社の所で述べたとおり、承応2年(1653)、宮本武蔵の養子・伊織が社殿を再
再建時の棟札は、宮本武蔵が播磨出身であるとほぼ確定さ
本殿裏の石灯籠は宮本伊織が寄進したものです。
なお、この地には南北朝時代の城である「石弾(いしはじ
暦応2年(1339)大井三樹伊予守宰が雁南荘地頭職を
【5月20日(日)】
しかし、テレビの効果って凄いですね。
こんなに人が多いレトロヂを見たことがありません。
「おはよう朝日です」の岩本アナ、川添アナをはじめ出演
大村昆さん、ターザン山下さんらお馴染みの面々も...
岩本アナお手製のおは朝のキーホルダーも、9時半過ぎか
お二
あとで、みき歴史資料館と三木城址にも。
最後の画像は、三木城址から撮った神戸電鉄・1950年代後半の復刻塗装の電車。























