● アダルトチルドレン(愛着障害)の苦しさ・生きづらさから、どうにかして抜けようとしている、あなたへ
こんにちは。アダルトチルドレン専門カウンセラーの、松山功子(まつのり)です。
今日は、ひとつ、聞かせてください。
「大人のあなたが、今、ご自分の子ども時代に戻れるとしたら、あなたは、戻りたいですか?」
当時は、子どもでしたが、今の大人のあなたは、色々なものを持っています。
知識や経験、大切な人たちとのつながり、スマホ、ネット・・・。
それらを全部、持っていくことができる、と仮定します。
あなたは、あなたの子ども時代に戻って、もう一度、最初から生きたいですか?
・
・
・
・
・
おそらく、答えは「いいえ」ではないでしょうか?
絶対に嫌。
二度と嫌。
もう無理。
耐えられない。
ほとんどの方が、こう答えるはずです。
私は、アダルトチルドレンの方々と出会うようになって、もう20年近くになります。
でも、アダルトチルドレンの方で、「子ども時代に戻りたい」と言った方を、私は知りません。
一人も、知りません。
つまり、大人の私たちでさえ、「辛い」「嫌だ」と思うような、日々だった、ということです。
大人でさえ、「とても無理」と言うような、その過酷な日々を、小さな子どもが、たった一人で、生き抜いたのです。
大人は、嫌になったら、その場を離れることができます。
飲みに行ったり、食べに行ったり、遊びに行ったり。
ゲームやネットの世界に、没頭したり。
誰かに SOS を出したり、できます。
でも、子どもは、そうではありません。
家と学校の往復。
逃げ場がない。
たった一人でも、まともな大人(大人としてまともに機能する大人)が、近くにいてくれたなら、全然違ったでしょう。
でも、その、たった一人さえ、いなかった方も、多いのではないでしょうか?
家の中が、どんな状況だったか、誰も知らない。
助けも、ない。
それが当たり前の日常で、助けを求める・・・という発想さえ、子どもの頭には、出て来ようがなかった。
誰も知らない。
わかってくれない。
助けてくれる人も、いない。
そんな中を、小さな子どもが、たった一人で、生き抜いた。
大人でさえ「二度と嫌」「とても無理」と思うような状況を、小さなあなたは、一人で、生き抜いた。
大人になってからも、色々、苦しかったはずです。
周りの人は、気づかなかったかもしれないけれど。
わからないだろうけれど。
ただ、生きる。
それだけのことが、アダルトチルドレンには、とてつもなく、難しい。
でも、そんな中を、あなたは、生き抜いた。
今日まで、生き抜いて来た。
これは、とてつもないことなんです。
アダルトチルドレンの苦しみは、当事者・経験者にしか、本当には、わかりません。
「自分だけ、なにかおかしい。」
「誰にも、わかってもらえない。」
そんな苦しさ・さみしさ・絶望もあったはず。
「生きる」
「存在する」
ただそれだけのことが、どれだけ、大変なことか。
どれだけ、過酷だったか。
今、この瞬間まで、生き抜いてきた、あなたを、
あなた自身を、
まずは、いっぱい、ほめましょう。
「よくやったね」
「本当に、よくやったね」
「偉かったね。」
「よくがんばったね。」
「すごいね」
「よくやってるね」
「えらいね」
「偉すぎる」
「すごすぎる」
「本当に、よくやってるよ!」
過酷な状況を、
ここまで生き抜いて、
今、ここに存在している。
それだけで、とてつもなく、尊いのです。
まずは、そのことを、認めて、たくさん、たくさん、ほめましょう。
「よくやったね」
「本当に、よくやったね」
「がんばったね」
「偉かったね」
「すごいね」
「よくやってるね」
「えらいね」
「偉すぎる」
「本当に、よくやってるよ!」
「ありがとうね」
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
大通公園のバラ
こんにちは。アダルトチルドレン専門カウンセラーの、松山功子(まつのり)です。
今日は、ひとつ、聞かせてください。
「大人のあなたが、今、ご自分の子ども時代に戻れるとしたら、あなたは、戻りたいですか?」
当時は、子どもでしたが、今の大人のあなたは、色々なものを持っています。
知識や経験、大切な人たちとのつながり、スマホ、ネット・・・。
それらを全部、持っていくことができる、と仮定します。
あなたは、あなたの子ども時代に戻って、もう一度、最初から生きたいですか?
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おそらく、答えは「いいえ」ではないでしょうか?
絶対に嫌。
二度と嫌。
もう無理。
耐えられない。
ほとんどの方が、こう答えるはずです。
私は、アダルトチルドレンの方々と出会うようになって、もう20年近くになります。
でも、アダルトチルドレンの方で、「子ども時代に戻りたい」と言った方を、私は知りません。
一人も、知りません。
つまり、大人の私たちでさえ、「辛い」「嫌だ」と思うような、日々だった、ということです。
大人でさえ、「とても無理」と言うような、その過酷な日々を、小さな子どもが、たった一人で、生き抜いたのです。
大人は、嫌になったら、その場を離れることができます。
飲みに行ったり、食べに行ったり、遊びに行ったり。
ゲームやネットの世界に、没頭したり。
誰かに SOS を出したり、できます。
でも、子どもは、そうではありません。
家と学校の往復。
逃げ場がない。
たった一人でも、まともな大人(大人としてまともに機能する大人)が、近くにいてくれたなら、全然違ったでしょう。
でも、その、たった一人さえ、いなかった方も、多いのではないでしょうか?
家の中が、どんな状況だったか、誰も知らない。
助けも、ない。
それが当たり前の日常で、助けを求める・・・という発想さえ、子どもの頭には、出て来ようがなかった。
誰も知らない。
わかってくれない。
助けてくれる人も、いない。
そんな中を、小さな子どもが、たった一人で、生き抜いた。
大人でさえ「二度と嫌」「とても無理」と思うような状況を、小さなあなたは、一人で、生き抜いた。
大人になってからも、色々、苦しかったはずです。
周りの人は、気づかなかったかもしれないけれど。
わからないだろうけれど。
ただ、生きる。
それだけのことが、アダルトチルドレンには、とてつもなく、難しい。
でも、そんな中を、あなたは、生き抜いた。
今日まで、生き抜いて来た。
これは、とてつもないことなんです。
アダルトチルドレンの苦しみは、当事者・経験者にしか、本当には、わかりません。
「自分だけ、なにかおかしい。」
「誰にも、わかってもらえない。」
そんな苦しさ・さみしさ・絶望もあったはず。
「生きる」
「存在する」
ただそれだけのことが、どれだけ、大変なことか。
どれだけ、過酷だったか。
今、この瞬間まで、生き抜いてきた、あなたを、
あなた自身を、
まずは、いっぱい、ほめましょう。
「よくやったね」
「本当に、よくやったね」
「偉かったね。」
「よくがんばったね。」
「すごいね」
「よくやってるね」
「えらいね」
「偉すぎる」
「すごすぎる」
「本当に、よくやってるよ!」
過酷な状況を、
ここまで生き抜いて、
今、ここに存在している。
それだけで、とてつもなく、尊いのです。
まずは、そのことを、認めて、たくさん、たくさん、ほめましょう。
「よくやったね」
「本当に、よくやったね」
「がんばったね」
「偉かったね」
「すごいね」
「よくやってるね」
「えらいね」
「偉すぎる」
「本当に、よくやってるよ!」
「ありがとうね」
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
大通公園のバラ