いま、世間は新型コロナウイルスの影響で大変なことになっている。
2月7日に死んだ父は
おそらくこのことは知らないで天国に逝ったと思う
父の死も忘れるぐらい怒涛の時間をすごしてきた
2月は葬式や四九日の段取り
3月はJリーグ開幕戦準備
4月はJリーグ延期のための企画変更調整やマスク開発
ここにきて、緊急事態宣言が発令され仕事のほうも少し落ち着いてきた
今日は休みで新井田川で桜をみながら一息ついていた
ぼーっと桜を眺めていると急に病院の一室で苦しんでいる
父の姿を思い出した
苦しかったべなー
親孝行なんもできなかったなー
歳は志村けんと同じ歳で晩年の顔もめがね姿もそっくりだった
実はわたしは父が嫌いだった
なぜかといえば
ふだんは温厚で絵に描いたようないい人なのだが
夜になり酒が入ると性格が激変し暴れん坊将軍になる父だった
何回もとっくみあいのけんかをした
ずっと出稼ぎをしていた
高校も五戸に行くといったとき
やりたいことを思い切りやれといってくれる父だった
最後はタクシー運転手をしていた
巨人とゲーム信長の野望が好きだった
2年前脳梗塞で倒れた
一命はとりとめたが
足に後遺症が残り
歩けなくなった
それからはみるみると痩せていった
病院の先生からは酒もたばこもやめるように言われたが
「酒もたばこも止めるぐらいなら死んだほうがいがべ」
という父だった
ほぼ寝たきりの状態になってからの楽しみは
ヴァンラーレ八戸 とティガーマスクの新聞記事を集めることだったみたいだ
あっ!
あとはねこの「たまちゃん」
たまちゃんは最後の最後まで父のそばをはなれなかった
2018ヴァンラーレ八戸がJ3昇格したときは泣いていた
一応父も南郷魂の人だからうれしかったんだと思う
昇格記念DVD
何回も何回もみていた
2019年11月八戸西病院へ緊急入院
病院の先生からはこれから家で面倒見ていくか
ずっと入院するかの選択をせまられる
母の選択は家でみるだった
最後の正月は自宅で過ごした
そのころはもう食べることもできなくなってきたが
もっていったみかんはお気に入りのようでムタムタ食っていた
だいぶぼーっとしている状態だったが
誰かわかるかときいてみると
「自分の息子わすれるわけないべ」
と強気に言っていた
2月上旬
容態が急変した
市民病院へ運ばれると母から電話がきた
仕事を早めにきりあげ病院へ
先生から言われた言葉は
「最善はつくしますが覚悟はしてください」
覚悟はしていたが・・・
その日の夜
母と弟は荷物をとりに家へ
次の日またくるとのことだった
父を見て長くないと感じた今夜が山だと感じた
最後はわたしが看取ると決め病院へ泊まることにした
朝まで一睡もできなかった
ずっと父の顔をみていた
何回も何回も手をにぎった
親父の手を握ったのはいつ以来だろう
たぶん小学校以来だ
顔をみながらいろいろなことを思い出した
チャーハンを作るのがめちゃめちゃうまかった
豆腐の煮付けが好きでいっしょによく食べた
(葬式後 母や親戚にその話しをしたら誰も父が料理できるの知らなかった)
ごめんな
親孝行できなくて本当ごめんなと何回もいった
意識があるときになんで伝えれなかったんだろうと
後悔した
あれからもう2ヶ月がたった
今になっていろいろ思い出しブログにのこした
最後父が意識がまだあったのは実家
母の選択をきっと父は喜んでいると思う
母は気丈にしているが
内心はどうかわからない
母には少しでも親孝行がしたい
母の日には花もっていこうと思う