昨日は22日に出勤した代休だったので、大竹市にある『亀居城跡』を散策しました。
亀居城は、慶長13年(1608)、福島正則が主に西国の押さえとして築いた広島城の支城です。
5年の歳月をかけて築城された亀居城ですが、幕府の反感を買い、築城から3年後の慶長16年(1611)に破却されました。
現在、城跡は「亀居公園」として整備されています。
ゆめタウンの駐車場がある国道2号線沿いに「亀居城跡入口」と書かれた立派な石碑があります。ここから歩いて登城しました。
JR山陽線を越え、住宅団地に入ります。この辺りから公園らしい雰囲気となります。
ほどなくして有の丸に到着。
有の丸には、亀居城跡の説明板があります。
亀居城には、本丸、二の丸、三の丸、詰の丸、有の丸、なしの丸、松の丸、名古屋丸、捨の丸、鐘の丸、妙現(見?)丸と11の郭があったそうです。
このほか、「亀居公園案内図」と「詩の坂道案内図」というものが設置してありました(かなりかぶった内容)。
その右手にある有の丸から三の丸に続く石段。
三の丸南東隅の石垣。
その左手(帯郭?)にある石段。
途中、右に曲がる道があり、こちらからも二の丸に行けます。行ってみます。
三の丸には、さらにこのような石段があり、上の写真の石段と合流します。
二の丸です。
二の丸には立派な舞台が建てられています。
展望台の銘板が設置してあり、ここからの景色もなかなかのものです。
残念ながら、柵がしてあり天守台には上れないようになっていました。
本丸を後にし、詰の丸に向かいます。二の丸の虎口を抜けた先が詰の丸です。
その下にも石垣が。後世のものっぽいが・・・。奥に見えるのは詰の丸です。
詰の丸西と東には、それぞれ井戸がありました。
さて、有の丸方面に引き返し、なしの丸に向かいます。
なしの丸。なしの丸については、色々と謂れがあるようです。“有”に対して“なし”なのかな?
次は松の丸へ。なしの丸から松の丸に向かう石畳の通路。本来のものか?
松の丸をはいったところにある石垣と3段ほどの石段。櫓でもあったのでしょうか?
なしの丸の南側にある石積。ここにも立派な石垣が組まれていたのでしょう。この下にも崩壊したと思われる多くの石が散乱していました。
名古屋丸の先にある捨の丸。
鐘の丸があった辺りです。現在は住宅地になっています。
「厳神社」がある場所が妙現丸です。
妙現丸は厳神社の裏手まで広がっており、かなり広い郭となっています。
妙現丸から亀居公園に続く道があります。この道を下りたところに、亀居城築城の際に亡くなられた人達を偲んで建てられた「亀居城築城犠牲者慰霊碑」がありました。
慰霊碑がある場所から南方面に少し行けば「水留石垣」という高石垣があります。
さて、亀居公園~鐘の丸~妙現丸と歩いてきましたが、ここから東方面に進路を変えます。
先ほど妙現丸から見えた発掘調査の現場を横目に、
そして、たどり着いたのがこちら。この場所には北櫓がありました。
また、この周辺には堀があったそうです。今でも小川が流れています。
亀居城は、広島藩の僅か1万石の支城であったにもかかわらず、大規模な総石垣造り城郭(どこまでが本来のものか、公園として整備された際に築かれたものかはわかりませんが)で、かつて堀があった場所は今でも川として残り、堀沿いには一部ではありますが、当時のものと思われる石積も残っており、かなり見応えのある城跡でした(^O^)