少し前出来事になりますが、、6月4日(土)、風があり爽やかだったので、朝から和歌山市にある洋館に自転車で出掛けしました🚲️
あじさい祭が開催されているという情報をつかんでいたのであじさい

郭家住宅(旧郭百甫医院)洋館

和歌山市今福にある洋館。
登録有形文化財(建造物)
1873年(明治)

紀州の青石がふんだんに使われた門が立派ですキラキラ

可愛いにっこり
6月3日(金)、4日(土)、5日(日)の3日間、開催していましたルンルン

ニュース和歌山に載ってた記事を見たので!

新鮮野菜もあるらしい口笛
楽しみや~

お庭には、色とりどりのあじさいが沢山ありますブーケ2キラキラキラキラ
ステキ~ニコニコ飛び出すハート

洋館

🔍️👓️
明治10(1877)年に、この地で郭百輔により郭医院の薬局兼待合室として建築され、これを建てた職人によって「異人館」と呼ばれていました。この建物は正面に大きなベランダが付いているのが特徴で、そのため建築史学では「ベランダコロニアル様式」と呼ばれています。

この洋館のように、明治初期大工が伝統的技術を用いて建てた洋館のことを「擬洋風建築」と呼び、この期の日本の建築として再評価されています。

幕末から明治初期の洋館として長崎市のグラバー邸(文久3年)、松本市の旧開智学校(明治9年)、札幌市の時計台(札幌農学校演舞場 明治11年)、などがよく知られていますが、明治10年完成の郭家洋館は、ちょうど旧開智学校や札幌の時計台とほぼ同時期の完成で、我が国の残存する洋風建築として最初期のものの一つでです。


郭家洋館は個人が建築したものとして珍しく、残存するこの種の建築として我が国で最も古いものの一つといわれています。


すごいやんびっくり!


そういえば、長野県に行った時に旧開智学校を見学しました✨


色々な種類のあじさいがありますねニコニコ

見事ですキラキラ

しばらくあじさいを愛でて優雅な気分に浸ります照れ
なんか贅沢やなぁ~

年代を感じる建物とあじさい。
妙にマッチしていますニヤリ

只今、工事中🚧

ちなみに、駐車場がないので、車は近くのパーキング🅿️に停めないとダメです。
この辺りは住宅街やから。

🔍️👓️

郭家の初代は、江戸初期 明暦年間(1650年代)に、清の混乱を避けて長崎に渡ってきました。帰化当時はまだ16歳で父は皇帝の侍医だったと伝わっています。長崎では医師として名をなし、その後郭家代々は昭和初期に没した八代目嘉四郎まで医を業としました。

居を長崎から和歌山に移したのは三代目で、当時和歌山塩屋の光明寺圓通和尚が長崎を訪れた際、三代目と懇意になり和歌山へ移り住んだとされています。 四代目は、寛政6(1794)年より紀州藩の御殿医となり、以降明治2年の藩政改革時の七代目まで紀州藩の御殿医を務めました。六代目は紀州藩における蘭方(西洋医学)を修めた初めての人の一人といわれています。


お殿様の主治医キョロキョロ


郭家最後の御殿医であった七代目(藩政改革後は百輔と改名)は西洋医学を学び、この医療を広めるため明治7(1874)年、和歌山医学校兼小病院の創立に大きな役割を果たしました。この病院は現在の日赤和歌山医療センターの前身となります。

前回(2年ほど前)訪れた時は洋館の中を見学させてもらったり、バルコニーに上がらせてもらいました!!ウインク
現在の郭家住宅は正面の「洋館」、それに続く「診察室」、さらに「数寄屋座敷」があり、その他にも「離れ」「土蔵」(2棟)「米蔵」「青石塀」「外便所」などがあります。これらのほとんどは国の登録有形文化財として登録されています。 

その時は特別に数寄屋座敷も見せてもらえてラッキーでした✌️


和歌山市内に、こんな素敵な洋館があるんですよ❗


ところで、新鮮野菜ってあった?

そう、ピーマンがありました。

ピーマンだけ(笑)

私、ピーマン食べれやんしえーん残念無念。


ちなみに、郭家住宅はこんな活動もしているようですよにっこり

建物内部や周囲の庭園の清掃など、毎月第二日曜日9時~10時の郭家の美化活動をしているみたいです❗


維持管理、大変やもんなぁ~


貴重な遺産、遺して欲しいおすましスワン