洋館
幕末から明治初期の洋館として長崎市のグラバー邸(文久3年)、松本市の旧開智学校(明治9年)、札幌市の時計台(札幌農学校演舞場 明治11年)、などがよく知られていますが、明治10年完成の郭家洋館は、ちょうど旧開智学校や札幌の時計台とほぼ同時期の完成で、我が国の残存する洋風建築として最初期のものの一つでです。
郭家洋館は個人が建築したものとして珍しく、残存するこの種の建築として我が国で最も古いものの一つといわれています。
すごいやん
そういえば、長野県に行った時に旧開智学校を見学しました✨
郭家の初代は、江戸初期 明暦年間(1650年代)に、清の混乱を避けて長崎に渡ってきました。帰化当時はまだ16歳で父は皇帝の侍医だったと伝わっています。長崎では医師として名をなし、その後郭家代々は昭和初期に没した八代目嘉四郎まで医を業としました。
居を長崎から和歌山に移したのは三代目で、当時和歌山塩屋の光明寺圓通和尚が長崎を訪れた際、三代目と懇意になり和歌山へ移り住んだとされています。 四代目は、寛政6(1794)年より紀州藩の御殿医となり、以降明治2年の藩政改革時の七代目まで紀州藩の御殿医を務めました。六代目は紀州藩における蘭方(西洋医学)を修めた初めての人の一人といわれています。
お殿様の主治医
郭家最後の御殿医であった七代目(藩政改革後は百輔と改名)は西洋医学を学び、この医療を広めるため明治7(1874)年、和歌山医学校兼小病院の創立に大きな役割を果たしました。この病院は現在の日赤和歌山医療センターの前身となります。
その時は特別に数寄屋座敷も見せてもらえてラッキーでした✌️
和歌山市内に、こんな素敵な洋館があるんですよ❗
ところで、新鮮野菜ってあった?
そう、ピーマンがありました。
ピーマンだけ(笑)
私、ピーマン食べれやんし残念無念。
建物内部や周囲の庭園の清掃など、毎月第二日曜日9時~10時の郭家の美化活動をしているみたいです❗
維持管理、大変やもんなぁ~
貴重な遺産、遺して欲しい