こんにちは、鷹巣聖孝ですヒヨコ

 

 

 

今の時代、なぜこんなにも「感情」がすべてを支配するようになったのか。

 

 


そんな問いを、最近よく受け取るようになりました。

TikTokでも、ゆかりさんの発信にたくさんの反応が届いています。

 

 


その中には、

 

「言葉に傷ついた」

「配慮がない」

「不快だった」

 

といったものが、数多くあります。

 

でも、ちょっと立ち止まって考えてみてほしいのです。

 

 

 

 

『傷ついた』という言葉は、たしかに“本物の感情”です。


だけど──

それは“真実”ではありません。

 

 

 

その瞬間に、何が自分の中で起きていたのか。
何に反応して、どんな過去の痛みが共鳴したのか。


それを見つめないまま、「誰かの言葉が悪い」と決めつけてしまうなら…

 

それは“感情”という名の正義で、他人を裁いているのと同じことなんです。

 

 

 

 

 

自分の中にあるスイッチが押された。
本当は、そのスイッチを設計したのは“自分自身”だった。

 

でもそれを見たくないから、
「スイッチを押した相手」を“加害者”にする。

 

 

そして気づかぬうちに、
「私は傷ついたのに、わかってもらえなかった」という【被害者ポジション】にしがみついてしまう。

 

 

 

──これが、今の時代の大きな“魂の盲点”だと、僕は感じています。

 

だから今は、誰もが感情を免罪符にしてしまう可能性のある時代。

 

 

 

 

 

かつての時代、女性は“構造”に縛られていた。

時代をさかのぼれば、女性は長く、社会構造に抑圧されてきました。


声を上げる自由すらなく、ただ“従うこと”を求められていた。

 

 

 

でも、今──
その“反動”として「感情」が正義になり、「共感できるかどうか」が絶対基準になってしまった。

 

 

共感しない人は“冷たい人”
感情を指摘する人は“ひどい人”


そして優しさは、“寄り添い”ではなく“甘やかし”に変わっていく。

 

 

 

 

 

だから今、侍のような魂が必要。

そう僕は思うんです。

 

侍がいなくなった時代に、魂を剣のように持って生きる人が必要だって。

 

 

優しさとは、
“相手の傷に寄り添ってあげる”ことではなく、
“相手が真実に向き合う勇気を取り戻せるように見守ること”ではないでしょうか。

 

 

自分の感情を「絶対」にするのではなく、
その奥にある“本当の声”に耳を澄ませる。

 

そんな魂の姿勢を、もう一度思い出してほしいんです。

 

 

 

 

 

「感情を正義にしないことは、感情を否定することじゃない」

 

このメッセージが届く人には、ちゃんと届いています。
どこかで、分かっているはずなんです。

 

「感情がすべてじゃない」
「でも、感情に向き合うって大事なこと」
「そのどちらも、大切にして生きたい」

 

──って。

 

 

 

 

だから僕たちは、感情に寄り添いながら、
その奥にある“魂の構造”を丁寧に見つめていくことを仕事にしています。

 

 

耳の痛い言葉もあるかもしれません。
でも、それを通過した人だけが、本当に“自由な魂”になれるのだと信じて。

 

だから、今日もこの場所から真実だけを語り続けます。