久しぶりにソフトボール時代を思い出しました。
私の中学校は、その時代、ともかく
女子はソフト部へ。
特に今の時代からすると
なんじゃそりゃ?!な世界です。
島っ子にとっては、
当時は徴兵制度みたいでした(笑)
必ず通過する恐怖の3年間でした。
なぜ恐怖かと言うと、、、
そのクラブのモチベーションは
栄光の先輩方の「県大会優勝」が
当然のレベルなのだから~!
県大会優勝って、
野球で言ったら甲子園出場です笑
100本ノック
そのあと1キロ走る、上立神岩まで‥
そして100本ノックの繰り返し
そんなスパルタな3年間でした。休める理由は、
ちゃんと診断書がついた病気のみ。
今思うと、その時代だから通用した
選択のなさだったように思います。
でも、なぜか、、、
最高にしんどい時思い出すのは
そのソフト部の限界を超えてからの自分を体験したこと。
自分の限界を超える体験は、
その時はカッコ悪くてしんどいけど
必ず自分の記録更新したポイントになっていて
パソコンなんかでの、巻き戻しができる
復元ポイントのような、、、
自分を思い出すポイントになるのですね。
私は、1番バッターでした。
しかも、右→左打ちに強制的に変えられました。
(右脳、左脳のこと考えると、、、
これで人生変わってしまったかもシレナイヨ!)
ソフトボールのベース間は野球よりもとても近く、
左打ちの人からのファーストベースは更に近いのです。
当時、結構足が速かった私は、
「塁に出ること」を目的として作られた1番バッターになりました。
必ず出るサインは、セーフティバント。
直前までバントと悟られてはならず、
意表をつく形で、自分がランナーとなるためのバント。
相手の裏をかくような要素もあります。
私の使命は、塁に出ること。
しかし、ピッチャーとの相性を観て、
監督は時にヒッティング(普通に打つこと)
のサインも出してきます。
「みかっちはバントに違いない!」と、
何度も対戦して作戦を読んでいるチームが
前進守備をしているときなど!
「私は、なぜ1番バッターなんですか?」
と、監督に聴いたことがありました。
「足が速いからちゃうで。
あんたはチャンスに強いから。」
いざという時に気が強くて、
はったりがきいて(おいおい)
そして、ほんとに「何としても出てくれ」というと、
必ず出る。。。のだそう。
「みんなは、1番バッターの様子を観て続くんやで。
わたしも行ける!!ってな。」
(左が当時の鬼監督M先生。今は優しい~w 右は父)
そのことを思い出すと
心に火が灯るような気がしますね。
そして、
塁に出るという役割を果たし、
ファーストベースから監督を見るとサインを送ってきます。
盗塁

「またかよ!」と、私は心の中で思うのです。
なぜ、そんなにもチャレンジさせるの。
なぜ、休ませてくれないの。
しかし、だいたい、盗塁は成功します!(笑)
そして、そのあとに続く
3番、エース4番、の子たちが
長打を打ってくれます。(同級生たちは島っこならではで運動神経抜群!)
そして、
セカンドに進塁していたからこそのバックホーム。
その時、ああ、よかった、
塁に出て、盗塁してよかった。
みんなが続いてくれた。
私は生還した!!
と、こみ上げてくるものがあります。
塁に出るのは、みんなを信じているから。
走って走って怖い思いをするのもそう。
みんなが続いてくれるから。
そんな怖いという気持ちも見越して、
監督はこれでもかとサインを送ってくる。
信じてくれているから。
走って頭からスライディングするのも、
どんだけカッコ悪くても、
たとえアウトになっても。
みんなが待っていてくれるから。
ひとりじゃない。
そんな当時の思いを朝から思いだしました

ほかの地域であれば体験できなかったこと。
トラウマにもなりそうな徴兵制度的部活(笑)
そう思と、徴兵制度的ソフトボールは、
今だから大恩を感じられます。
貴重な貴重な体験でした!
そして、振り返って思うのです。
自分にとっての復元ポイントは、
限界を超えたそのとき。
だから、今、超えようとしている限界は
きっと未来の自分にとっての
貴重な復元ポイントとなるのですね。
それは紛れもなく「自分」だけの
確固としたストーリーの中の
最高のワンシーンです

あなたがあなたを思い出すための
マーキングされた伝説の1ページですね!!

