娘が悩んでいたこと。
伝えるということ。
自分の中の「何か」を伝える時、
絵や4コマ漫画や、佇まい(謎)
非言語系で伝えられるのに
「言葉にならない・・・」
よくそんな風に言っていた。
適当の対極にある
正しく伝えたい、という思いがありすぎて
言葉にならない事が多いようだった。
でも、これって
やっぱり経験値と同時に
徐々に解消するものかも。
今回、引っ越しの手続きの連絡を
ほとんど娘にやってもらった。
何を聞けばいいのか・・・
目下そればかり悩んでいた娘も、
コツがだんだんつかめてきた様子。
なぜ、この電話をするのか。
自分がどうしたくて、相手の都合はどんなか。
聞いておくべきことはなんだろか。
手続きは紙ベース?ネットでいける?
そんな事を繰り返すと、
なんとなく「社会」というものがわかってくるのかもしれない。
やっぱり、人間のために人間が作った
手続きやルール。
だいたいは、トラブルという
過去の記憶に基づいて
「次は起こらないように」との思いで作られてる。
欲求があり、衝突があり、
妥協案があり、痛みを避ける。
そんなルールがほとんどだと改めて私も思った。
快適に、円滑にといいつつも、
やっぱり、恐怖の感覚に基づいて出来てる。
交渉相手の恐怖を刺激しないように、
交渉相手が安心していられるように。
気持ちよく、対処してもらえるように。
ネゴシエーションって、
面白い。
自分の要求も明確に観えてくる。
しかし、そこ(相手の気持ち)ばかりを考えると、
自分が消えてしまう
ということも学んだ夏休み。
そして、そんな事があっても
どんなに交渉が自分に不利に終わっても
自分は決して消えない。
その一見「不利」なものが、
全然違う扉の「幕開け」の時もある。
役割と立場と、そしてそんな
力強い自分自身という
「存在」を学んだ夏休みだった様子