自分は、自分が考えている通りのものである。
この不思議で、
しかし単純明快なカラクリに気づくまで
どれだけかかったんだろう。
私は、自分が
みかっちだと考えているからみかっち。
以前の職場で、何を思われたか、
とても才色兼備であこがれの女性と
勝手にペアにしてくださった職場の方が
「○○○の叶姉妹♪」
と、呼んでくれたことがあった・・・。
だけど、だけど、
自分のことを叶美香さんだとは考えない。
(だいたい胸元の大事なところが全然違うし・・・)
残念ながら
叶美香さんのセルフイメージは
もてなかったけど(泣)
でも、その「代名詞」が
なぜかすんなりと自分の中に入る時もある。
「わたし、確かにそうかも・・・。」
という瞬間。
浅野重人さんに
「沼島を守っていく働きをする人だね。」
と、言われた時はピンと来た。
それは、どこか
自分でも望んでいることだったからなんだろう。
あなたは、スピリチュアルな人だね。
あなたは、哲学者だね。
あなたは、人を引っ張っていく人だね。
あなたは、○○○だよ。
など、
色んな事をきっと毎日
人は言われている。
優しいね、楽しい人だね、
頭いいね!!
出来る人だよね、
きっと人は、
色んな風に形容されて1日を送る。
受け入れられないものも、
そ、そうかな?なんて思うものも、
ありがたいけど、それは違うなあ、
そこまで私ひどくないよ!なんて事も思いながら、
そして、結局自分は、
「自分が考えているとおりのもの」になる。
しかし「自分が考えている」の中に
ピンとくる新風を吹き込んでくれるのも
誰かがしてくれる表現。
今まで考えたことがなくても
「ひょっとして?私?」
と、ふとよぎることがあったら、
もう、変化を起こしている。
そして、間違いなく
「自分が考えているとおりのもの」になる。
今の現状、してきたこと、
キャリア、資格、罪(と思っていること)
生い立ち、子どもの数、
財布に入っている紙幣の数、
まっっったく関係なく、
そう思えた瞬間から
もう、大事な部分、
核となる自分の部分での仕事は成されている。
あとはこの世界で
その証拠を見せてくれるように
せっせと自分が構成されていく。
「ひょっとして?でもやっぱりな~」
であればその通りに、
「ひょっとして? わあ素敵! これは行ける!」
であればその通りに、
「自分が考えているとおりのもの」になる。
今日は、ある人と初めて会う事になった。
私の中でのイメージは、
とてもみずみずしい人。
外見もそうだけど、
なによりもその魂が。
キチンと社会の中で生活をしながらも、
熱い「何か」、マグマのような
「維新」という感覚を思わせる人。
どうして私に会いたいと思ってくれたのかなぁ、
と、ふと思った。
一つは、そのみずみずしい
「自分の考えているとおりのもの」
セルフイメージをきっと、
確かめに大阪に来ているのではないかと思う。
「自分が考えているとおりのもの」を確かめるために、
人は、人に会いたくなる時がある。
今日は、なんとなくですが
彼の可能性の扉が開いて行きそうでとっても楽しみです