苦しみの中で、もっともつらいのは
「比較」というものなのかもしれない。
色んな尺度で
人は人と比較する。
結構、自分を一番苦しめるような尺度で
比較してしまいがち。
でも、本当に色んな尺度があって・・・
Aさんにけなされて落ち込み、
Bさんに聞いてみると絶賛。
それだけで、180度景色が変わってしまう。
でも、もしAさんがそのとき体調が悪くて
本当はほめたかったけど素直になれず
その言葉は八つ当たりだったとする。
Bさんは、本当は
あまりいいと思っていないけど、
利用する目的でほめたとする。
それって・・・もう、何が何だかわからない。
尺度って、何だか風のようなもの。
時代によっても、気分によっても
そして、抱えているバックボーンや
そのときの状況よってまったく違ったものになる。
始めてテクサポをしているとき、
自分のトークに自信がなくて
よくリーダーに相談に行った。
すると、年下のリーダーは
本当によく出来た人だったと思う。
一貫して、こんな風に。
「私は好きですよ、みかさんのサポート。」
これはだめ、あれはだめ、
ここがよくてこれはちょっと・・・
そんなことは言わずに、
スキルが身につくまでは、
本当にそうやっていつも励ましてくれた。
比較というものから解き放たれた経験を
させてもらった2年間だった。
こんな私でも、テクサポできるようになった。
そして、そのときに学んだコミニュケーションサイクル。
共感しながら専門性を発揮して解決!という
経験は、今本当に身体に染み付いていて
色んな場所で役立ってくれている気がする。
比較がないからこそ、安心して
自分自身に没頭することができたからだと
本当に感謝している。
ジャストロー錯視というものがある、
この二つは、同じ大きさ。
どうみてもBの方が大きく見えちゃう。
人は、無意識に自分に近いところの線を
比べてしまうのだそう。
目に付くところを、つい比べてしまう。
Bがちょっと右に寄っているにもかかわらず、
そんなことはお構いなしに
Bの上辺とAの底辺を比べてしまう。
その人に、どんな問題や苦しみがあるのか
そして喜びさえも不明ながら
表面だけをみて、うらやましいと思ってしまったりするのと
とてもよく似ているような気がする。
私たちは、いつもいつも錯誤している。
風のようなものにとらえどころのないものに拠って
図ろうとすることが多いから・・・。
評価というのは本当に流動的。
であるならば、他人というものは
本当にいい意味で関係なくて
自分の中の感覚をしっかりと見つめていればいい。
「好き」だなあ、「いい」なあ、
「素敵」だなあ。
「やりたい」なあ、「こっちのような気がする」なあ。
そこにこそ・・・
いや、そこにしか?
結局は答えがないことが多い。
そして一人一人、千差万別。
本当に微妙にそれぞれ違うもの。
そんな人たちが違いを楽しみながら
協力し合ってこそ・・・
素敵なハーモニーとなっていくのだから!!
・・・。
なんか、記事を読み返したら
バームクーヘン食べたくなってきた・・・。