17歳の頃、尊敬していた先輩の口から
不意に、出た言葉だった。
留学した彼は、帰国して
欝のような症状を発症し
そして、自ら命を絶った。
大学生になった私は、
彼がなくなる2ヶ月ほど前に、
何年ぶりかに街角でばったりあった。
お久しぶりです!と、
近くのレストランで
ステーキをご馳走になった。
そのときは、
留学の話を楽しそうに語ってくれた。
最後に、私の留守電に入っていた。
「こんにちは! お留守のようなので、また電話します!」
あまりにも、普通の声だった。
そして、数日後、大学で、
私がその先輩を尊敬したことをよく知る友人が
私を呼んで、
「美香ちゃん、○○先輩、知っとるよね。
・・・・・・ 亡くなってん。」
と、口を開いた。
それも、あえて、普通に普通に彼女は伝えた。
その日、どうやって帰宅したのか覚えていない。
私が、留守電でなく、
電話に出ていたら。
どうして、
もっと何か出来なかったのだろう。
でも、20年の時を経て
ようやっと、
その思いこそが傲慢だったと気づいた。
それの自責の念に、苦しみ病気になるほど、
自分に力があると思っていた。
何とかできたと思っていた私が傲慢だったと気づいた。
私が、人を変えることは出来ない。
ましてや、生き死にをどうにかできたんじゃないか
なんて、思っていたなんて。
逝くときは、逝ってしまう。
どんなに止めても。
終わらせたくないって
心底、思っている人は
どんな事をしても、終わらないんだよ!
だから大丈夫!!
遠山さんが、そんな風に力強く
14階から落下しても生きていた人の話をしてくれた。
私に出来ることは、
自らの生まれてきた理由を発見しながら
それに喜びながら
生き生きと、また生き生きと
この瞬間を楽しんで行くことなんだ。
嫉妬は人生を狂わせる。
彼が、25年も前のその夏
その解説をこんな風にしていた。
「なぜなら、それは・・・嫉妬と言うのは
人生の軸を、他人に預けてしまう行為だからだよ。
どんなことがあっても、大切なのは自分。
敵は、本当は外の世界にはいない。
自分のなかに、なぜだか湧いてくるものなんだ。
その、比較や無価値感という敵を見破らなければ。」
ばったり再会したした暑い夏のアスファルト。
その笑顔の裏に、彼のどんな闇があったのだろう。
しかし、今ではもう、
輝いていた笑顔しか思い出せない。
今、また、夏がやってきた。
不意に思いだした、彼の言葉は
まるで、20年経ってようやく暗証番号がわかった
命の底からの、彼の遺言のようだった。