かなえられるもの | ☆みかっちの「しあわせ感性を高める♡」ブログ☆

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前回の記事

「楽しみたかったら勝てない」


を書いて、そしてとても力強いコメントをいただいてから、

本当に何か自分の中で化学変化を起こしたような

そんな不思議な感覚に包まれています。



私の中で、今、相反する(に見える)ものの同居というか、

そんなテーマが渦巻いています。



恐怖のイメージの中には常に

相反する自分がいる、ということが明確にわかってきました。




願望は「必ず」実現するのですが、

しかし、願望は強烈に押し込めた自分とセットで実現します。



強烈に罪悪感を持っていると、願望は

その罪悪感とともに実現してしまう。



願望、というベクトルは、

とどまることを知りません。


いわば、私たちの思いをかなえ続けるマシンのようなもの。



そこに、掛け合わせるものが重要になってくるようです。



表面上の自分ではなく、潜在意識の中に

押し込めた自分自身の思いが最も強烈。


その、思いが願望にかかってしまいます。



「人から注目を浴びたい」



そんな願いだったとして


その裏に、罪悪感があったとすると



なぜか問題を起こしたり

揉め事が起きたり


それすらも押し込めていると

病という仮面を借りて注目をあつめたり



自分を苦しめるような方法で

注目を浴びるようにもって行ってしまう。



しかし、罪悪感という裏には

またまた、二人の自分がいます。



自分を貶めたいという自分は

何のためにそんなにも

貶めたいと思っているのでしょうか?



私は、こう思います。


最悪の事態から逃れるために

自分を罰していると。



必ず、なにか大切な意味があって罰している。



罪悪感を取り除く

これは、とても大切なことですが



その前提として、その裏にいる

常に、常に最善を選択する賢い自分。

この存在を、力強く感じてほしいのです。



どんなことがあっても、最高の味方であり

どんなことがあっても、最悪から守り続ける私。



小さな頭の言うことを突き抜けて


自分を貶めねばいられない

けなげな自分自身を抱きしめて



その奥の、自分自身を信頼すること。


本当の自分自身にゆだねること。



この自分を感じることができたら

怖いものはありません。



何一つ、叶えられないことなどありません。