おかあちゃん⑤ | ☆みかっちの「しあわせ感性を高める♡」ブログ☆

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人生のどんなシーンをも、十分乗り越えられる生命力。
あなたには備わっている!
生命力こそがすべての難問解決の秘訣♡




なぜ、この“続きもの”を


おかあちゃんというタイトルにしたのか・・・


と、友人に聞かれた。






それは・・・どう考えても


ここ数年の一連の出来ごとに


その、大きな流れの根底に


母の存在を感じるからなのだった。




本当に最近のささいな出来事や


ここに至るまでの様々な偶然まで


あまりにも「母の仕業」のように思えるからのだった。






小さいころから、私の母は


日本舞踊のお師匠さんで


そして、旅館の女将さんだった。




くまなく様々なところまで目が届き


神経を張り詰め


先手、先手をうって商売をし


家事をし、子育てをし






私は、母が認知症を発症するまで


自分でこの人生立っていたのだろうか?と思うほどに


母の影響を受け、母の許可を得ながら


また、母の大きな存在に反抗しながら


絶えず、その母の存在を元に生きていたような気がする。






「あたし、美香ちゃんの事、一生懸命育てたわ!!」


そんな風にマジメに言い切った母(笑)




「あたし、心配で心配で、死んだらきっと化けて出ると思う。」


そんな事を大マジメに言い切った母。






実物は、とても人がよくて小さくて


可愛らしい雰囲気を持っているので


そんな過保護で、ちょっといかれたセリフも


何だか憎めずに似合ってしまうような所があった。






経済的な苦労が何年も続いた母。


ある日、これまた大マジメに


母はこう言った。




「何もかも忘れてしまう病気になれたら、いいのになあって思うねん。」






それから数年後、母は


本当に、病気を発症してしまった。




一家の中心にいた母。


母が、普通ではなくなって


陰で、沢山のものを支え


陰でたくさんの努力をしてきてくれた事が


本当によくわかった。




やっと、やっと、


私は、母子分離がなされたように


自分の足でたって、


よろよろになりながらも歩き始めた。






あれから、もう7年。




今、今の私と話が出来たなら


母は、どんなにか充実しただろうか。




このブログをあの母が読んでくれたら


どれほどに色々感想を言ってくれただろうか。




もう一度、あの母と話したい。


もう一度、母と会いたい。






しかし、人生は、なんと面白くできているものなのだろうか。




母が病気になって


あの、楽鴬師匠が私の目の前に現れた。




まるで母のように


あいさつや、生き方や、マナーやルールを


そして、何よりも


母と共に若かりし頃に身に付けた


あの、上方舞の美と精神を私に叩きこんでくれる。




「咲きちゃん(母)やとおもって、私の言葉を聞いてほしいねん」


そういって叱る師匠の声を聞いていて




ふと、ふと思ったのだった。




「おかあちゃん、ほんまに化けてでてるやん。」って。






脳の委縮で、細かい事は全くわからないけれど


もう、肉体や言葉を使って私と関わることはできないにしても




私は、母のその病気のおかげで


自分自身というものを、やっと強烈に知った。


そして、自分自身の生きる道を見出すことが出来た。






全く、どこまで・・・




母の思いというのは


どこまで深くて、広くて


全ての事象を動かしてでも


きっと、きっと子供を守ろうとするのではないだろうかと


子供の自立や成長を促そうとするのではないかと




ふと、そんな風に感じたのだった。






母の想いは海よりも深い。


太陽よりも暖かい。




それは、本当に、純粋で偉大で可愛らしくて・・・


全てのお母さんという存在を思うだけで、涙があふれてくる。




あの友人の事も


この近所の人も


大切な人を育んでくれた




全てのおかあちゃんに


本当に本当にありがとう!!って心から伝えたい。


そんな、そんな2011年の年末です。






あ、私も一応おかあちゃんやった(笑)