給料日前になると、
なぜかお財布の中の「紙」はレシートだけになる(笑)。
お給料日までの数日間は、
いつもなら何の気なしに買っていた缶コーヒーさえも
高価でキラキラして見える。
そして、不思議なほどに
スーパーの景色が違って見えるのが、この数日間。
価値のあるもの。
身体に必要なもの。
余裕があったら買いたいもの。
絶対に必要なもの。
誰かを喜ばせたくて買うもの。
ニーズには色々あるものだなあと
そんなことが、体感覚でわかる。
沢山の余分なものが削ぎ落ちて
まるで、高感覚のセンサーがついているように
目に留まる食材たち。
しかし、娘は、この時が一番楽しいという。
ついつい、フルタイムで働いて疲れたと
帰りにお惣菜や、お弁当を
夕食に選んでしまいがちな日常。
だけど、月末は、ない頭を絞り
腕を組んでメニューを考える。
「100円おかずがどれだけ作れるか?!」
20円のもやしと、安い豚肉での炒めもの。
なぜか(笑)娘が一番好きなメニューである。
ワクワクする!
のだそうだ。
「自分を生きる」
「自分を生かす」
「才能を発揮する」
そんな事ばかり考えて
ここ、数年走ってきた。
でも、
「暮らす」
ということが
どれほど難しく、そして素晴らしいか
それを再確認してきた
大阪での9カ月だったような気がする。
幸いにも、すぐに決まった就職口。
キツイなあと、思う事も一杯あるけれど
旅行に行こう!って言える、心許せる友人もできた。
留守番を楽しんでこなす
娘の強さも見せつけられた。
大好きな、クラシカルな風貌の阪急電車も
私を、よそ者扱いしなくなった気がする(笑)
駅について、バスに乗り
五月丘へ向かう道は緑豊かでとても清々しく
ここを通れば
どんなに嫌な事があっても
心にさわやかな風が吹く。
玄関を一歩出て
「雨が降りそう」
と感じるような感覚。
隣に座った同僚が少し痩せたことに気づくとか
上司の髪の毛がはねてるとか
コンビニで電気料金払ってほっとしたり
帰りの飲み屋街のネオンが綺麗で
いつか、この居酒屋行きたいなあ
と、味を想像したりとか。
78円の納豆を見つけてしあわせだったりとか。
電車の中で
両親の事をおもってちょっぴり涙ぐんだりとか。
そんな、
「暮らす」という感性があってこそ。
大切にしてこそ。
すべてがその土台の上に生き
そこに初めて
「自分を生きる」
「自分を生かす」
「才能を発揮する」
というドラマが、
確固とした軸を持ち、展開してくという
人生のカラクリがあるのかもしれない。
と、思い始めた。