恕の交流 | ☆みかっちの「しあわせ感性を高める♡」ブログ☆

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人生のどんなシーンをも、十分乗り越えられる生命力。
あなたには備わっている!
生命力こそがすべての難問解決の秘訣♡

恕の心。


カウンセリングを学ぶ上で、この事を最初に教わりました。

これさえ思い出す事ができれば、人間関係の全ては解決するというほどの

あたりまえだけれども、魔法の心。

しかし、これがなかなか難しい。




「恕」

とは、相手の立場にたって物事を考える事。


それは、しかし、本当にその人になりきる事はできませんから

きっと想像力でしかありません。




「恕」とは、

自分に経験のないことでも推し量れる能力なのではないかと感じています。




自分がこうならば、こうだから

きっと相手はこういう気持ちだろう。

だから、こうしてあげたい。

これはいいことだ。

また、逆にこれだけは言っておかなければ。

その人が悪くなっていくのを見過ごすことはできない。




この想いは、確かに思いやり以外の何物でもありません。


しかしまた、その「恕」の落とし穴が、そこにあるように思います。



推し量るという作業は、当たり前ですが自らの体験に基づいた作業。

ですから、そこには



自分の解釈というフィルターが常にかかっていることを認識しなければなりません。


そのフィルターを認識している自分は

小さな自分を超えた、大我の自分。



本当の「恕」は、そこに達したときに素晴らしい形で発揮されるような気がするのです。


「恕」で接していたら、相手の求めるところと違っていた。



確かに、自分は相手の気持ちを想像することに限界があった。




そこで、もうひとつの「恕」が必要になります。

それは、受け手側の「恕」。




私が求めるものとは違っていたけど、思ってくれていたんだね。

ホントにありがとう・・・!


受ける側に、「感謝」という、ゆるしの「恕」があるのかどうか。


一方通行ではなく、相互に行ききする「恕」


「恕」の交流こそが、素敵な関係を作っていくような

そんな気がするのです。