小さい頃、小学校の行事で何かのレクリエーションがあったのを思い出しました。
島の小さな総合センターの会議室に親子が集う読書会。
普段は寝るような時間。
小学校低学年にとっては、8時~9時位という禁断の時間?だったことも、楽しさに輪をかけていた。
内容は、当時の校長先生がリードをとり、
①母と一緒にある本を読み
②母に、その本の内容を聞かせてあげる。
③母に感想を聞く。
という単純なもの。
取り上げられたお話は「姥捨て山」。
小学生にとっては強烈でもあり、大変難しい物語だった。
一生懸命話す私に、母がこう言った。
「すごく良かった。でも一つだけ、とても大切なシーンが抜けてたね。殿様の命令で、60以上となった母を山に置き去りにするべく、母を背負って歩く山道。青年はお母さんが帰ってこれるように、おんぶしながらポキ、ポキと枝を折って歩いた。ここは重要だよ。このシーンにすべてが含まれていると言ってもいいくらい、重要なシーンだよ。」
何気ない親子の日々のやりとりから、子供の感性というのは触発されるのだなあということも思い出した。
普段忙しい母とゆっくり絵本について話ができて、本当に楽しかった。
そして、発表。校長先生にあてられた私は、母のアドバイスを受けてアウトプットし、校長先生に大袈裟な位に褒められたことを思いだす。 嬉しくて、小学生の思い出の中では一番輝いている純粋な思い出。
私の中では、ここまでの記憶しかなかった。
昨日、その続きがあった事を急に思い出したのだった。
その帰りに・・・
「何で美香ちゃんはあんな風に出来るのに、あなたはできないの!」
という声が飛び込んできた。
「美香ちゃんは楽しそうだった。あんなに楽しそうに笑って。なのに、あなたは・・・!」
そう言い捨てて、走って家に向かった友達のお母さん。
「お母さん、お母さん、待って!待って!・・・待って!!!」
泣きながら友達はお母さんを追いかけていった。
そのシーンが、鮮やかに急に思い出された。
「楽しそうにしてはいけない」「楽しむと誰かが傷つく」
私の中でのその呪文が、どこから生まれたのか。
今、思い出せたのは・・・
私が母となり、その友達のお母さんの気持ちを受け止められるようになったからなのだと思った。
友達のお母さんは、早くに亡くなった。
友達は、19歳という若さでお嫁に行った。ガンで余命いくばくもないお母さんにウエディングトレスを見せるために。
お母さんが亡くなった時、彼女は腰が抜けて立てなかったという。
しばらく、足が動かなかったという。
幸せな結婚をし、家族と仲良く暮らす最近の彼女を、私は眩しい思いで見つめている。
彼女の暮らしは、当時のお母さんの愛情をきちんと学んでいたのだろう、笑顔と愛情と素敵な料理でいっぱいだ。
その、ある夜のシーンだけを強烈に潜在意識に閉じ込めた私は、木を見て森を見ず、その母子の深遠な絆よりも「楽しそうにしてはいけない」というような呪文をずっと持ったまま生きてきたような気がする。
潜在意識をクリーニングしていくという事は、そこにあった愛情を感じさせない強力なフィルターを一つずつ丁寧に外していく・・・という事なのだろう。
そこには、愛だらけなのに、一つのキーワードだけで「不信」となる。
仏教用語では迷いの事を「無明」というが、
【明かりがない闇に光が当たると、闇はたちまち消えうせる。
闇がどこか別のところに移動したわけではない。
つまり、闇は始めから存在しなかったということである。】(フリー百科事典・ウィキペディアより)
母となり、彼女のお母さんの切ない心情をわかるようになり、
そして溢れんばかりの愛情を感じられた時に爽やかに晴れていきつつある私の心。
そこから今では、「楽しんでいいんだよ」というキーワードが鳴り響いてくれている!
「絆」というのは、実は綺麗事ではなく、わずらわしいもので、一筋縄ではいかない。
しかし、だからこそ面白く素晴らしい人生を感ずるのだと澤谷先生は言う。
私自身は、母が年老いて行かなければ、母が認知症にならなければ、気づかなかったことがあまりにも多い。
母が年をとり、初めて人間らしくなれたような気さえする。
一見傷ついた翼のような姿をしながら、子供が迷わず歩いていけるように枝をポキポキ折ってくれているのは、本当は、背負われた母なのではないか・・・と思う時がある。
様々な姿をして子供を成長させる母。
海のような深い愛情を持つ母という存在そのものを思った。