感じる。想像する。 | ☆みかっちの「しあわせ感性を高める♡」ブログ☆

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人生のどんなシーンをも、十分乗り越えられる生命力。
あなたには備わっている!
生命力こそがすべての難問解決の秘訣♡

本当に明るくて優しい、語り口も軽いタッチで、すべてが眩しく、あるお方にとても憧れているのです。

しかし、その方が「本当は自分は・・・。」と自身の事を語られた時にハッとしました。


私は、表面上しか見ていないようだったけれど、でも、その裏にある葛藤も感じていたんだという事に。

その人に、なぜ惹かれて、なぜ尊敬していたのか。


人は、言葉に隠れている「真意」を無意識に読み取っているのかも知れないと思いました。

その人がそこに凛としてたたずんでいる事だけでなく、そこに至るまでの葛藤や哀しみ、怒りそして喜びまでも人は、実は感じているんじゃないかと。


その人がその人たる所以を、感じる。


ある作家さんの事を、こう言った方がいらっしゃいました。


「この本はやわらか~な内容だけれど、この人がこんな事を書けて、多くの人に響くという事はどれだけの事を乗り越えてきたのかと思うよ。」


でも、その作家さんの表現に、重い表現は一切ないのです。

ちらちらっとご自分の体験は出てくるのですが、それも的確な場所で、必要なエッセンスとして出てくるのみ。

そこから、それだけの事を感じ、想像できるその方も素晴らしいな・・・と思いました。


また、J・K・ローリングさんは、ハーバード大学での講演「失敗の効用」の中で


「皆さんがご自身の影響力を発揮し、発言力を持たない人々のために声を上げることを選ぶなら。

また、力ある者だけでなく無力な者たちにも自分を重ね合わせることを選ぶなら。

さらには、他の人々の暮らしがもし自分のものだったらと想像する力を失わなかったら-。

そのときは、皆さんの力添えによって何十億人もの人々が、あなた方の存在を祝福するようになるでしょう。

魔法がなくても、世界は変えられます。そのために必要な力はすでに我々のなかにあるのです。」


と、おっしゃっていました。


感じること、そしてそれをさらに「もし自分のものだったらと想像する力」を養っていかなければならないなと思ったのです。


すぐに、マイナスな想像をしてしまいがちな私は、その「想像力」に、最近歯止めをかけていました。

しかし、その「マイナスな想像をしてしまいがち」ということが何を意味するのか・・・。


「自分にとって」という想像でしかなかったのです。

自分という殻を超えていない、ただ傷つく事への予防線だったような気がします。


本当に愛あふれた想像力とは、ローリングさんのおっしゃる「もし自分だったら」という観点。

「他の人の思いをわが思いとする」


「友の憂いに吾(われ)は泣き、吾が喜びに友は舞う」
明治時代の歌の一節だそうですが、そのような、小さな自分を超えた想像力。


そこに、本当の人間力や、そして才能を開花させる力強い生命力が湧いてくるのですね。

感じることと、想像することは連結しています。

愛あふれる想像力を磨いていきたい!思いました。


それこそが、「しあわせ感性」の向こうにある「しあわせ想像力」。

そして、それは欠かせない「しあわせへの魔法扉」のように感じた丑三つ時でした(笑)→早く寝ましょう。