じたばたしない | ☆みかっちの「しあわせ感性を高める♡」ブログ☆

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人生のどんなシーンをも、十分乗り越えられる生命力。
あなたには備わっている!
生命力こそがすべての難問解決の秘訣♡

朝起きて、急にこの言葉が浮かんだ。


「じたばたしない」


いつもじたばたじたばたしている。私。

ところで、じたばたってそもそもなんじゃ?と思って調べてみた。


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手足をばたばた動かすさま。「―(と)もがき苦しむ」

ある状態から逃れようと慌てたり焦ったりするさま。「今ごろ―(と)したってもう遅い」

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ほうほう、なるほど。

そして、いつものように澤谷先生のブログを開いてみた。


今日は「幻想の世界とあるがままの世界(2)」として、また深遠な世界が繰り広げられている。

しかし、とてもわかりやすい。


その中に、澤谷先生が飛行機に乗っていた時の感覚が書かれていた。


「以前、錯覚を起こし、方向感覚がわからなくなり、正常な感覚が戻るまでに少し時間がかかったことがありました。その錯覚は、人生における不安と同じものだと思えました。機長にいのちは預けているのだから、ゆったりとのんびりとしていればいいのです。そんなことを思いながら、人生の機長は誰だ、などとも思っていました。」


澤谷先生のこの一文ですう~っと謎が解けた気がした。


私も以前、この(方向を見失う)感覚を持ったことがあった。


あれ?羽田に向かっているのに何でこっちに海があるのか?

もしや・・・ハイジャックされたのか。

今まさに、機長室には誰かが・・・あのスチュワーデスさんの笑顔には何となく憂いが感じられる。

一生懸命隠しているのだろうか。

娘だけは守らなければならない。海に落ちたら何メートル泳げるだろうか。

まだ冷たいよな~~~(→私の妄想はどこまでも続く・笑)


海が逆にあると思っただけで(機長さんやCAの方にとったら、当然のルートで、当たり前のことなのに)ここまでの勝手なストーリーが紡ぎだされる。

これは私だけのストーリーであって、これそのものが「自我」なのだろう。

きっと、人生に対しても私はこのような自我の傾向(不安コンプレックス)を持っているのだと言える気がした。


あるがままの世界は、きっと海が「逆」なんて概念もない。

北海道が淡路から見て東北の方向にあるというのも、淡路の「自我」からみた光景なのかもしれない。


娘は「町がおもちゃのようだ。その次は、淡路がおもちゃのようだ。そして次は雲と遊んでるようだ!」

と、娘から見た娘だけの光景を楽しんでいる。


当然、55分後には無事に羽田に到着。

それ以外、なにもない。

ただ、順調なフライトで羽田に到着しただけのことだ。


その娘と私を待っていたのは下からその飛行機を見上げ、娘との再会の瞬間だけを待ち望んでいた娘の父親。


あるがままの世界に、沢山の自我が絡み合っている。


澤谷先生はよく言うのです。

「最低限の自我は必要です。」

自我がないとドラマは生まれない。


しかし自我を認識できるという事は、あるがままの世界を、私たちは知っているのではないかと思う。


それにしても・・・まるで飛行機に乗ってしまったように、この地球に生まれた。

そして、この人生を請け負ったからにはしょうがない(笑)


飛行機は、オートパイロットが一番安定しているという。

その精密さたるや素晴らしいと、アメリカでパイロットをしている友人に聞いた。

オートパイロットを疑って、あたふたと手動にしたりまた自動にしたりしていたら、それこそ危ない。


「じたばたしない」


逃れようと慌てたり焦ったりしない。

私の人生を受け入れよう。


そして、まずは今ここを感じてみよう・・・。

そこからはじめよう。