木綿子さんの「母の声」、そして後藤さんの「完璧な親なんていない」
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の記事を拝見して、私の中でも父や母・・・特に母への思いのデトックスが進んだようです。
ただ拝見し、木綿子さんと後藤さんのお二人の体温に包まれて涙しただけで・・・心の変化が見られました。
私の母は、5年前から軽い認知症と戦っているのですが、5年たってなお、母の病を認められてなかった自分にびっくり。
どういうことなのでしょうか・・・。
まだあの頃の元気な母だと、どこかで思っていた気がするのです。
一生懸命お風呂で数を数える母を見ていて
「私はなんて酷な思いを母に持っていたのか。」
と、涙が流れました。
母は、一生懸命生きてきた。
今も、機能している精一杯の機能を使って、精一杯生きているではないか・・・。
それそのものが何にも代えがたく素晴らしいことなのに。
なぜ、それを「今の母の完全」だと思えずに
「なぜ、こんな姿に。」とばかり思っていました。
「美香ちゃんも次に入ってぬくもりや(^^)」
とニコニコと言ってくれる母の前で、子供のように泣いてしまいました。
「お母さん、怒ってばかりでごめんね。」
でも、それほど私は母を尊敬していました。
私の中での完璧な母親像は、それほどまでに強固で。
「お母さんのこと、不死身やと思ってない?」
と、元気なころ笑いながら言っていた母。
本当に、私の中の小さな私は、まだそう思っていたらしいのです。
本当におかしな話です。
先日、澤谷先生に
「あなたは、よっぽど大事に育てられてきたんだね。」
と言われた言葉の意味が、ようやくわかりました。
かなり遅ればせながら、ようやく母を生身の母として感じることができた気がします。
木綿子さん、後藤さん、ありがとう!
体温は体温として伝わり、私の心まで暖かくして、そして等身大の自分と等身大の母に会うことができました。
今日から何かが、根本的に変わりそうな気がします!