我ら!馬瀬中切里山整備隊でござる。

我ら!馬瀬中切里山整備隊でござる。

こんにちは、我ら馬瀬中切里山整備隊は、里山の保全、整備を自らの任務とする精鋭部隊?というか、「まぜのさとやま」を愛する❤️やさしき老若男女の集まりです。

  暑さに負ケズ、花壇の剪定をしました

 中切里山整備隊は、旧馬瀬中の校舎、跡地を工場として活用されているH精工株式会社様のご依頼を受け、植木の花壇の剪定や整備作業を定期的に行っております。また、今日は体育館周辺の草刈り、除草も併せて行いました。作業に対して頂いた謝礼は、丸山公園の整備活動費等に大切に活用させていただいております。

 7月21日(日曜日) 猛暑の中、みんなで協力して約3時間かけて終了しました。軽トラも大活躍です。


H精工株式会社様の馬瀬工場です。(7月26日、剪定5日後の写真です。)


  只今、​熱中症警戒アラート発令中!

 7月21日(日曜日) 午前7時30分、下呂市から今年初めての「熱中症警戒アラート」が発令されました。そんなカコクな自然条件の中、樹木の花壇の剪定などに黙々と汗を流しました。


この景観ポイントのすぐ前に今回の作業場があります。田んぼきれいですね。


この暑さです。

  剪定前の様子です。

こんな感じです。


下の写真も、剪定前の様子ですが、何の木か、わかりますかねえ?


A

B

C



そうです。

A.いちい、B.つつじ、C.つげです。


  旧馬瀬中の花壇の面影を偲んで…

 旧馬瀬中学校の校舎が徐々に改装され、姿を変えていく中、ほぼ当時の面影をそのまま残しているのが、この植木の花壇といってもよいかと思います。

でも昭和58年(1983年)の開校時、花壇になぜこの3つの樹木を植えたのでしょうかね?


ブログを書いていたら、そんな疑問がふつふつと湧いてきました。

(すいません。馬瀬にずっと住んでいる人や樹木にくわしい人には簡単なことかもしれません。)


  まずは、剪定作業開始!

疑問はさておきー

午前8時30分、会長の敬礼から作業開始です。

(さすが元消防士!)


猛暑の中、12名が参加しました。




多くの隊員が、自前で剪定道具を持ってます。自宅でも必要なのが、馬瀬です。


「まず、食べてからやる。」

それが中切里山整備隊の流儀です。

つぶあんドーナツ🍩、今日もあります。


  いちいの木

いちいの木は、正面の両脇を含め合計9本、植樹されています。正面は、最も目立つところです。


まずは、剪定の様子を動画でご覧下さい。

🎥スタート⬇️

なかなか、慣れた手つきですね。

 イチイは、ご存知の通り、1年に数センチしか上には伸びず、幹の直径が40cmになるには100年かかるとも言われています。成長が遅い分、学校としては大きくなりすぎず、円錐形もきれいで、都合がよかったのかもしれませんね。


でも、イチイを植えたわけは、それだけですかねえ?

私が思うに、イチイを正門の目立つ場所に植えた訳は、イチイが馬瀬と深いつながりのある樹木であることも関係しているのではないでしょうか。


 ご存知、馬瀬数河の桂林寺のイチイです。岐阜県の天然記念物に指定されています。樹齢500年以上といわれています。

もちろん、桂林寺の歴史も古く、寺の記録によれば、1186年天台宗の寺(諸説あり)として創建され、その後、北陸からの蓮如聖人の一向宗の熱心な布教活動の影響もあり、1494年浄土真宗(大谷派)の寺院となったとされています。以降、今日まで馬瀬の人々に親しまれてきました。本堂も江戸時代(1767年)の建造物です。

 実は、イチイは岐阜県の木」にも指定されているんですよね。人口の1割にも満たない飛騨地方に分布する木が、県の木に選ばれるなんて光栄ですね。イチイは寒冷地を好む針葉樹で、美濃地方にはほとんど見られないです。


 イチイと呼ばれるいわれは、(知っている人は、とばして下さい。)昔天皇の即位の時、この木で笏(しゃく)をつくったところ、そのあまりにも美しい木目から、最高位である「正一位(いちい)」の官職の名前にちなんで、イチイと呼ばれるようになったと言われています。伝統工芸品の「一位一刀彫」は、ホント木目がきれいで、ずしりと重いですものね!

さらに、イチイと飛騨の関係といえば


 馬瀬中切から直線距離にすれば40キロ足らず(高山中心街より近いです。)の旧荘川村(現高山市)には、樹齢2000年以上、高さ15mの「日本一のイチイの木」があります。


 地元の人から「治郎兵衛のイチイ」として親しまれてきたこのイチイは現在、国の天然記念物に指定されています。

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 イチイを馬瀬中の正面の花壇に植樹した背景には、「馬瀬の子よ!飛騨を代表するイチイのように、地道にゆっくりでいいから、着実に一歩一歩前進していってね。」というメッセージが込められているのてはないでしょうか?

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  ツツジの木

 樹木の数からすると、圧倒的に多いのが、ツツジです。

 では、ツツジと馬瀬にはどのようなかかわりがあるのでしょうか?


その前に剪定の様子を動画でどうぞ。

🎥スタート⬇️

きれいな矩形に仕上がってますね。息もぴったりですね。

昭和58年(1983年)この花壇ができた時は、まだ馬瀬村であり、正式には「馬瀬村立馬瀬中学校」(旧中切中と旧惣島中が統合されて開校)という名称でした。

そしてツツジは、開校以前から「馬瀬村の花」として指定されていました。

ただ、ツツジだと、日本中どこでもありますよね。

多分、馬瀬村のツツジとは、ツツジでも「岩ツツジ」のことではないでしょうか。

 馬瀬川の急峻な岩に咲く岩ツツジは、厳しい冬の風雪に耐え、川が増水した時も必死に忍び、初夏になって可憐な小さい花を咲かせます。その生命力に感動し、現在でも馬瀬以外から撮影に来る人がいる程です。

 下のブログを押してみてください。馬瀬の岩ツツジが見られます。



そういえば、美輝の湯♨️の中のレストランの名も「いわつつじ」ですね。



あと馬瀬名丸にあるデイサービスの施設も「つつじ苑」でしたね。

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 馬瀬中の花壇にツツジを植えた理由として、馬瀬村の花として、「馬瀬の子よ!岩ツツジのように辛い時は、我慢強く耐え忍び、そして成長して、自分に与えられた命を精一杯輝かせてね。」というメッセージも込められているのではないかと考えるのは、少々大袈裟ですかね。
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  ツゲ

旧馬瀬中の花壇には、ツゲ(柘植、黄楊)の木もたくさん植樹されています

可愛らしい球形をしたツゲは、あまり大きくならない灌木であるため、校舎近くに沿って植樹されています。


まずは剪定の様子を動画でどうぞ。

🎥スタート⬇️

きれいな球形にするのが難しそうですね。


ツゲの木は、古来から日本では特に次の3つの用途に利用される木材として大切にされてきました。
3つとは、
①櫛(くし)
②印鑑
③将棋の駒
です。
 3つの用途に共通しているのは、クセがなく、均一で丈夫、適度に加工しやすいということです。
「床山」といわれる力士の髪結いさんは、今でもツゲの木の「くし」を使用しています。また、木製の印鑑では、ツゲの木が最高の木として、昔から今日に至るまで縁起のよい印鑑として、使われてきました。将棋の駒にも、ツゲの木がよく使われます。

興味ある方は、下のホームページを押してみて下さい。

🌳

このように、ツゲは「縁起のよい木」なので、「馬瀬の子よ!ツゲの木のような柔軟さを持って、困難を上手に切り抜けて幸せな人生を送ってね。」という思いが込められているのかもしれませんね。

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  剪定にかかせないお仕事、お道具

 かなり話があやしく脱線しましたので、今回の作業に戻りますと、


樹木の剪定に欠かせないお仕事として、剪定した小枝や葉を集めて処分する、ジミーなお仕事があり、これは、結構大変で、剪定する人と同じくらいの人数が必要です。


ただ、便利なマシーンがありましてこれです!


ブロワー」といいまして、皆さん一度は見た事がおありかと思いますが、風の力で葉やゴミなどをかき集めたり、吹き飛ばしたりするお掃除道具です。剪定の作業では、竹ぼうきやブロワーで葉や小枝をかき集めたら、軽トラ車に積めるよう、青のビニールシートで包みます。







ところで今回のお仕事でビニールシートは、のべ何枚つかったと思います?

① 3枚

② 6枚

③ 12枚


正解は?

③の12枚です! 運ぶだけで3台の軽トラを使用しました。


  その他のお仕事


草刈りもしました。


除草もしました。


  作業後の様子です。

今日の作業後の様子です。












  お弁当(+🍺)タイム


午後11時50分、 ついに終了し、おいしいお弁当を最後みんなでいただきました。



F隊員から🍺の「差し入れ」もありました。

ありがとうございます🙏

午後1時ごろまで、おしゃべりは尽きませんでした。

  other photos





休憩タイム


午後11時10分 積み込み作業


後片付け


隣町萩原町の「いちい」


すぐ近くの馬瀬川では、鮎の釣り人でいっぱいでした。

最後まで、凡長なブログをご覧いただき誠に有難うございました。