2023年8月初めて沖縄本島に行きました。恐らく沖縄人にとってはあたりまえの事かもしれませんが、その際に得た知見を備忘録としてメモします。

 

まず、沖縄本島は巨大なサンゴ礁が隆起してできたようなものだそうです。従って、沖縄の地層は石灰岩を多く含み、多くのものにこの石灰岩が利用されています。

石灰岩が利用されている一つは道路です。空港からレンタカーまでのバスの中で、沖縄の道路は滑りやすいのでご注意下さいとの注意がアナウンスされました。沖縄の道路アスファルトは石灰岩が多く利用されているため滑りやすいそうです。因みに空港周りの道は時間帯によって渋滞しやすいらしく、空港からレンタカーまで約5Kmに30分くらいかかっていました。

もう1つは白い建物が多いこと。ここにも石灰岩が利用されているようです。

 

沖縄観光の目玉の一つ「首里城」は、2019年の火事で全焼してしまったため、訪れた際は再建工事中でした。再建用の建屋の壁には首里城の絵が描かれていました。因みに北海道庁も再建工事中で同じく壁に絵が描かれています。せっかくなので、ガイドツアー1時間\1000をお願いしました。ラッキーなことに申し込んだ回は私一人だけで、マンツーマンで色々聞くことができました。偶然なことにガイドさんも”松田”さんで、さらに先月ガイドした北海道から来たお客様も”松田さん”だったとのこと。「沖縄には松田と言うお名前の方は少ないですよ」と仰っていたのでものすごい偶然です。

首里城の再建工事のコンセプトは「見せる復興」です。工事用の建屋はガラス張りで中が見えるようになっており、宮大工さんたちの作業を見学出来たり、場所によっては工事の手伝いなどもできるようになっています。私が訪れた日は工事がお休みの日で作業は見れませんでしたが、窓から組み立て途中の首里城や、利用する木材を目にすることができました。宮大工さんたちは九州から長期出張で来られているとのこと。首里城の再建費用は約120億円、うち55億円が寄付で集められたとのこと。

 

首里城の外壁は、本土の城と異なり丸みをもった作りになっており、それは琉球の文化・デザインだそうです。北海道のアイヌの模様を思い出します。

首里城の目玉の一つが、守礼門(しゅれいもん)です。名前の由来は、琉球王国は礼儀を守る国であることを内外に示す意味を持ちます。

 

琉球王国は15世紀に誕生し、1879年まで約450年続きました。途中1度王朝は交代しているが名前としては琉球王国として継続しています。

実際には、江戸時代初期の「琉球侵攻」で摩藩島津家から攻撃され首里城を占領されています。その際、琉球王国の名前と王家は残されましたが、実質的には江戸幕府・薩摩藩の支配を受けた傀儡王朝となりました。その際、奄美を島津藩に割譲していて、従って、現在も奄美は沖縄県ではなく鹿児島県です。

琉球王国の終焉は明治初期の「琉球処分」によります。琉球王は首里城の明け渡しを命じられ、王の地位を失いました。王は華族となり、東京に移住されたとのこと。因みに、その際に政府から派遣されたのが”松田 道之”というお名前だったので、ガイドの松田さんはその子孫なのかなと思いました。

 

沖縄は太平洋戦争でアメリカ軍の侵攻により、約20万人が死亡しました。特徴的なのはそのうち民間人の割合が高いこと。戦争が終わってもアメリカによる統治はつい最近 1974年まで続きました。因みに、アメリカ統治時代は道路が右側通行だったが、復帰後の1978年に左側通行に変わりました。今でも沖縄には多くの米軍基地があり、沖縄県民に多くの負担をかけています。

 

琉球侵攻、琉球処分、太平洋戦争、アメリカ統治、さらには、米軍基地の問題と、沖縄県民は多くの苦難を強いられてきましたが、琉球人のおおらかであたたかい人柄に強い好感を持ちます。