「キウス周堤墓群」は北海道千歳市にある縄文時代の墓地である。約3200年前の墓は2021年に「北海道·北東北の縄文遺跡群」として世界文化遺産に登録された全16箇所の一つであるが、その知名度は極めて低い。

 

国道337号線をマオイの丘から千歳に向かって車を進めると、少し鬱蒼とした森に入ったところにそれはある、というか、なんなら車道からよく見える(ガイドさんからは危険なので車道からは見ないで下さいと言われた)

 

 

駐車場はじゃりだが十分広く、奥に案内所プレハブがある。常時ボランティアガイドが数名詰めているようだ。ぜひとも30分〜60分程度のガイドしてもらうことをお勧めする。

 

というのも、見るだけではただの森と盛土でしかないので面白みはない、とガイドさん自身も仰っていた。ベテランガイドの語るキウスの”いにしえの物語“はとても興味深かったが、たしかに見るだけでは面白みが無く、全体を俯瞰するような“ばえる写真”をとるのも難しい。

 

さて、「キウス周堤墓群」の”周堤“ とは円形の盛土であり、円の内部は周辺より低くなっている。周堤の高さは最大約2m、周堤上部から内部の底までの高さ最大が約5m(何れも2号周堤墓)実際に目にしてみると想像よりもずっと高さがある事に驚いた。

 

キウス周堤墓群では計9基の周堤墓が見つかっている。これらは直径50mを超える大型のものが多く、最大は1号墓で直径約83m。ちなみにこの様な「周堤墓」はキウス以外にも、知床や恵庭、千歳空港でも発見されている。

 

 

この周堤墓を作るのに、当時の技術で数十人で3ヶ月以上かかると算出されている。当時は縄文時代であり王権時代ではなく、従ってこれだけの規模の墓地を作るには、周りのいくつかの村落の合議によって行われたものと想像する。

 

因みに周堤は単純な盛土だけで、石を拭いてあるわけではないとのこと。大きな水害や洪水があったら流されていただろうと想像するが、火山灰地質なので水はけが良いのと、この辺りはすこし高くなっているので水害は無かったのだろうとのこと。

 

周堤墓内の低くなっている部分が埋葬部で、恐らく多くの縄文人が眠っている。キウス周堤墓群で発掘調査が行われたのは1号墓と2号墓のみ、その発掘面積はそれぞれ10%以下であるとのこと。出たのは土器の破片などと、その他に、大昔にいくつかの場所を掘り起こした痕跡が見つかった。

 

なぜこれだけで墓だと言えるかというと、幸運なことに知床や千歳空港の周堤墓では人骨が発見されたからである。そちらでは墓石も立てられていたとのこと。残念ながら現在は滑走路の下だ。

※日本の酸性土壌では通常古代の骨は残らないが、千歳空港地の粘土質?や貝塚のようなアルカリ土では稀に残る場合がある。

 

キウス周堤墓群の杜は原生林である。つまり、縄文時代から手つかずの状態だ。従って、すべて広葉樹であり、針葉樹である松や杉はなく、地下には恵庭岳や樽前山の噴火の地層がきれいに残されているとのこと。

 

台風で倒木した根が地層を掘り起こした

黒い層が樽前山の噴火層

その下の赤い層が恵庭岳の噴火層

 

というのも、ここは昭和の初期にアイヌの砦と誤認識されて保護の対象となっていたため開発されずに残された。従って、地層がきれいに残っていたため掘り起こされた痕跡が明確に把握することができたのだろう。

 

どの周堤墓も周堤円の高さが低くなっている場所が一箇所ある。◯の一箇所が切れている視力検査のマークの形を思い出して頂きたい。おそらくそれは周堤墓への入口だ。周堤により墓とそれ以外の区域を明確に分け、入口を作ることで道を作り、踏み荒らされないように管理されている。

 

今更であるが、ここまでの話で当時キウスの縄文人は「墓」を作っていたことが分かる。現代の私達同様、亡くなった人を、ある特別な場所に埋め、故人の記憶を物や形で残すという行為である。

 

縄文の特徴の一つに「定住」が挙げられる。定住だからこそ「墓」が作られ後世に残される。例えば定住ではなく遊牧だった場合、仮に墓を作ったとしてもあるときその墓のある場所から移住してしまえば、余程大きく立派で有名な墓でない限り忘れ去れ後世に残されることは難しいだろう。

 

さらに、キウスの「墓」は普段居住する場所とは明確に分けられており集団で管理されている。…まあ墓とはそういうものなので書くまでもないのかもしれないが、ここで特筆すべきは縄文時代に明確に「墓」があったということが現代の私達が認識できるものがキウスに存在しており、それが文化的に高く評価され世界遺産として内外に広く周知され、後世に残そうという働きかけがされているということだ。墓は神聖なものであり、定期的に参拝し懐かしみ祈りを捧げる場所、敬いの対象で畏れ多いものだったと思いたい。

 

約3200年前の我々の先人たちの営みや当時の世界観、これらが現代に高く評価されたことは喜ばしく感じるが、正直な話それは現代の我々日本人の死者に対する営みと何も変わらない。

 

脈々と受け継いできた死生観、死者を弔う文化、畏れ敬う心、亡くなった先祖との向き合い方、お盆お彼岸墓参り。現代の我々には薄れてきている物が、もしかすると彼らの方が強く持っていたのかも知れない。

 

ちなみに、数年前までは周堤内に立ち入ることはできたが、現在は歩ける場所が制限されている。昔の写真を見て内部に入れると勘違いされることもあるという。

 

さて、キウス周堤墓群は世界遺産になったのに全く観光地化されていない。ガイドさんはボランティアで手弁当。観光客が空港でタクシーに乗って「キウスまで」と言っても運転手がキウスの場所を知らなかった事が5回これまであったらしい。

 

もちろん観光地化するのが正しいとは言わないが、せめてもう少し多くの人に知ってもらって、教育や文化面でも整備してもらいたいと思う。が、現在のところ千歳市としては今のまま残すという方針だそうで、特に開発や新たな発掘の予定はないとのこと。

 

まずは周堤墓の概観、全体像が見られるような展望台などの設置をお願いしたい。1号墓の裏に展望用見学台があるが、高さ1m程度の階段で、かろうじて1号墓の中が見える程度。

 

国道337号線は明治期に作られたもので、キウス周堤墓群を突き抜けて東西に分断しており、西側の周堤墓は見学することさえできない。希望としては国道に歩道橋を作り、西側の周堤墓も見学できると同時に高い場所から全体を俯瞰できるようになればと妄想する。

 

4号周提墓 右が国道337号

 

2023年9月28日(木)11:00~12:00 雨

キウス周堤墓群 備忘録

蚊が多いので案内所で虫除けを借りることを推奨

雨で傘をさしていると蚊も雨を避けるように傘に入って来ることを初めて知った

ボランティアガイド 矢崎様にお世話になりました