幸せとは、 | 三浦真由のぶろぐ。

幸せとは、


やっほー。
こんばんは。
や、おはようございます!
カラオケ行きたい。
その気持ち120%でお送りします。


このブログには全く詳細載せてなかったのですが、実は1月に舞台、やってまして、無事、終わりました。
いくつになっても延々、制服着て女子高生役とかやっておりました。

いろいろ思うんですけど、今回については別にね、高校生役だとか制服とか、本質的にはどうでもよい問題で、ただただ、18歳の、あの多感な時期の人間…というか、あの頃、を感じてもらいたかったのですけどもね。
でもそれって、今がいくつとか関係がなくて、ただ、ただ。


さて。
やっぱり、まずは自分自身で、あの頃のこと、思い出しますよね。
それに紐付いて、というわけではないけれども、終わってからと言うものとてもとても苦しい時期に突入してしまって、ざっくり言うと、生きる。ということについて、とてもとても考える日々を送っております。


面白いのは、本質的にはなんら変わらないことが、18歳のあの頃として再生される時、出力の仕方が違うなーってこと。だったりして。なんて。


ここ最近、とにかく苦しくて、病みの絶頂期だなぁって思っていて(こんなこと言ったらまた各方面から怒られたり呆れられたりするけど)
そんななか、とても悲しいこともあったのだけど、幾つか。

だけど、その都度、え、まさか?っていうひとから連絡が来たりして、全部には応えられなくても、とても大切なきっかけの時間をもらっています。


過去に通った道をなぞるように、自分をどこかに置いてきた大切な人の話を聞いたり。ずっとずっと大きな愛しかない人の何でもない話を聞いたり。あんまり好きでもない肉の塊を食べて、美味しいです、って言ったり。それすらも優しさに溢れた時間で。
別にかっこつけて食べないわけではないんですよ、って。言えなかったけどさ。

苦しすぎるけど、諦めずに向き合って消化しないといけないんだって思うことばかりでした。
無理しないでね、とか、休んでいいんだよ、って言ってくれる人たちの優しさと、ある種の無責任さに救われたりしながら、生きています。


いろんなひとに触れて、やっぱり私はひとが好きなんだと思うし、私みたいな不器用な人間はひとと触れ合うべきなんだと思った。
人は鏡だから、という言葉をここ数日、何度も、思い返します。
なんの話、って感じだけど。

赤い携帯なんて意外、イメージにないなぁ、って言われたことが自分でも意外だったなあ。

ため息に変えたり、こうしてつらつら連ねたり、薄まっていつのまにか消えるのも怖いけど、たぶん、いつか読み返したら必ず残っているはず、のいまの気持ちを残しておきたくて久しぶりに書きました。


こういうときいつも思うけど、誰かのため、とかではなくて、自分のため、でもなくて、ある人に向けて、みたいな思いがあるから
完全なるエゴであって、見るわけもないけど
それが消えない限り、私は芝居をやめないのかもしれない、なあ。


え、なんのはなし?