今日は、母の命日の前夜…
日頃は忙しさで紛れている感情があふれ…涙もあふれ…(苦笑)
ついつい、六年前のことを思いましてしまいました。
母が、膵臓ガンで余命数カ月と診断されたのは、弟の結婚式の一ヶ月前。
弟には母の病気を告げずに式は行われ…、私はうれし涙と、悔し涙でハンカチを濡らした…。
その後、
自分の病院での治療→、弟の勤務する病院のホスピス→、最後は自宅での介護となった。
私が1番記憶に残っているのが、母の勤務していた病院から、転院するとき…。
ストレッチャーに乗せられた母を病棟のみんながエレベーターまで見送りに来てくれ…、
ドアが閉まる瞬間の辛さ…、
皆さんの、もう生きて会うことはない、と、言う思い、
母の長年勤めた病院をこんな形でさる辛さ…。
私もこの時は、涙を止めることはできませんでした。
自宅での介護が始まり、私は仕事を休み、山形と仙台を往復して、日中は母と過ごしました。
毎日、実家をでるときには、母に、
また明日来るね、
と言い、明るく出発するのですが…
もう、二度と会えないかもしれない、と、メソメソと泣きながら運転して帰ったことを思いだします。
ある日、どうしても帰りたくなくって、実家に泊まったのですが、その日の夜が母と過ごした最後の夜となりました。
母は…最後…
もう、頑張らなくっていいよね…と言いました。
その時、母は私達家族にも、弱音をはけず、頑張っていたことに気がついたのです。
いつも、いつも、がんばり屋の山ちゃんって、言われていたから…
私も母が、病気になってから、母の前では気丈に振る舞っていけど…、お互い、弱音をはいて泣いたらよかった…と、ちょっと、後悔…。
でも、なかなか集まれない家族がみんな集まり、実家で過ごした何ヶ月間は、素敵な思い出となりました。
母は看護師でしたが、
私が小さいころから、看護師の仕事に没頭している母をみて、私は寂しく、私だけの母になって欲しいと、嘆願したこともありしました…(苦笑)でも、母は苦しむ患者さんのみんなの母となることを選んだのでした。
母のお葬式、
セレモニーホールに入りきらない参列者の方々で、長い、お焼香の列ができました。
母の看護師人生を映し出したような気がして、思わず、
お母さんすごいね!と、手をたたきたくなりました。
いつか、母のようになりたい、と思いながら、
日々仕事をしていますが…、母を越えるのは難しいそうです(笑)。
明日は笑ってお墓参りに行ってきます!
長文、読んでいただいてありがとうございましたm(__)m
☆そら☆