椎野正兵衛展 | 繭家の人生こぼれ繭

繭家の人生こぼれ繭

人にも自然素材にも優劣なんかない。『こぼれ繭』と呼ばれていたものに目をかけて、愛情を持って「カタチ」のある製品にする。そこから生まれる「やさしさ」から「人やモノ」を思いやる心が生まれるのだと思います。

昨晩、BSテレビでフランスリヨン市の絹織物博物館のことが放送されていた。マリーアントワネットの部屋に飾られていた絹のタペストリーやその当時の絹織物の洋服などをみていて…やっぱり歴史が物語る展示物がある…富岡製糸場には?
このドレッシングガウンは1875年頃に横浜椎野正兵衛商店がつくったものです。1872年操業富岡製糸場と椎野正兵衛はウィーン万博(1873年)でもつながっておることは歴史が物語っておるのですから…早く本物が見てみたいですよね!!


室内着1875年頃
デザイナー:不詳 ブランド:椎野正兵衛店レーベル:S. SHOBEY Silk-Store Yokohama-Japan
素材・形状特徴:茶の羽二重にキルティング。中綿は木綿。衿、カフス、ポケット、裏地は羽二重。前あきに釈迦結び。組紐に房付きのベルト。
日本から海外市場向けに製作された室内着。典型的な1870年代のバッスル・スタイルである。在留外国人の注文という可能性も否定できないが、当時の欧州市場を把握した椎野による輸出品と考えられる。和紙製レーベルには一面にロゴマーク、もう一面には毛筆での記載があるが、判読は難しい。
長い鎖国からようやく開国した日本にとって、貿易振興は大きな課題であった。横浜開港の1859年から絹は主要な輸出品だったが、より付加価値の高い絹製品の輸出が望まれていた。これを受け、横浜の絹物商人、椎野正兵衛らが73年のウィーン万国博覧会に派遣される。羽二重にキルティングを施した室内着は市場調査の結果の品だった。<京都服飾文化研究財団より>